by accident

父親が病気になって、採用試験を受けたら〝たまたま〟受かってしまって、24で愛知県の教員になった。最初の10年は使い物にならなかった。自分が何をやってたか、はっきりとは覚えていない。ピンボールの球のようにあっちへフラフラこっちへフラフラ、与えられたものをこなして年月はすぎていった。

30手前くらいかな、安城農林という高校に勤めていたとき、演劇がやりたいです、という女子生徒が〝たまたま〟現れ、熱意にほだされて芝居を作り始めた。

39で〝たまたま〟刈谷東に転勤になった。

40歳のある日、井口さんという知り合いと電話でおしゃべりしている最中に、〝たまたま〟朗読劇という芝居の種類があることを教えてもらったから、「Making ofk『赤い日々の記憶』」という台本を書いて上演したら、〝たまたま〟全国大会に行ってしまった。全国大会に行ったら、「普通の芝居はどうせ書けないだろ!」と2チャンネル(今は下火になっているらしい)で〝たまたま〟酷評されたから、胸くそ悪いと思って、ストーリーのはっきりした芝居らしい芝居「便所くん~男だけの世界~」を書いたら、また全国大会に行ってしまった。行けば行ったで、また悪口を書かれ、けったくそ悪いとまた台本を書いて・・・そんなこんなで結果として40代の10年間は、演劇部の活動がオレのすべてになってしまった。

57歳の時、知り合いの新聞記者が文章を書かせてやると〝たまたま〟言ってくれたので、思ったことを書いたら、その記事がキッカケになって〝たまたま〟一宮にスタジオを持つことになった。

59歳、新学習指導要領で並行履修が出来ないという問題が〝たまたま〟起こったので、その対策として「リベラルアーツ国語」という授業を作った。

これまでに単著を3冊、共著が1冊書いた。文部科学大臣賞、優秀教員、中日教育賞、その他表彰もたくさん受けた。それだって、〝たまたま〟そういう話がきて、そういう運びになったのだ。

かくほどさように、人の一生なんぞ、「by accident」、偶然、〝たまたま〟、の集積なんじゃないかとオレの実感している。

もちろん、オレはその時々でえらいこと努力した。いろんなものを犠牲にして努力した。そんなのは言うまでもないことだ。運がいいだの悪いだのという話をしているわけではないので為念。

年度の初めに教員は「シラバス」というインチキな紙切れを書かされる。この授業はこんなふうに進みますよ、この授業を受けると1年後にはこんなチカラが就いていますよと書かされるのだ。自慢ではないが、オレは(大概の心ある教員はみんなそうだと思うが)、たかが授業でも「シラバス」どおりに進んだ例しがない。

いわんや人生に於いてをや。

これを読んでいるみなさんは、「シラバス」のように、予めイメージしたとおりの人生ですか?それともオレみたく、〝たまたま〟こうなっちゃよ、という人生ですか?オレはね、いくつになっても〝たまたま〟を引き寄せて、それに対応すべく、みっともなく右往左往する人生の方が豊かだと思ってしまうな。