一回性を生きる

いやあ、上手いのなんのって。あ、オレのリベ国の授業ね。ねらいがピチピチ当たるもんだから、ついこないだも授業中に生徒の前で言っちゃったよ「オレ、ホント、授業上手いなあ」ってさ。生徒は笑ってたけどね。

もちろん努力してるさ。ていうか、オレぐらいなんじゃねえか?ひとつひとつのクラスのために授業内容を全部変えて、毎時間、全クラス分、欠かさずに指導案書いてる教員なんて。ウソだと思うなら見せてやるよ。今年度に入ってからの指導案、全部取ってあるからさ。

リベ国も今年度で3年目になる。前身とも言える演劇表現のスタートから数えりゃあ、今年でちょうど20年(!)だ。オレの中にはな、20年分のストックがあるんだよ。だからできるんだ、相手のクラスの様子に合わせて、目的に最も沿う内容に毎回変えて授業をやることがさ。

去年も一昨年もこんなことはしてなかったよ。5クラスやってりゃあ、5クラス同じ内容で授業を進めてた。指導案はリベ国がスタートしてから毎週書き続けていた。が、それでも所詮週に1枚だ。5クラス、おんなじ内容をやってたからね。今思うと、それは雑だよ。手抜きだよ。だって、生徒っていうか、クラスの課題ってどのクラスも全部違うんだぜ?それ無視しておんなじ内容の授業を提供してるようじゃあ、やっぱりね、やっぱり手抜きなんだよ。

今年は違う。5クラスあったらそのクラス用に1枚ずつ指導案を書く。目の前の生徒の、個々のクラスの課題、現状に合わせて、内容を変える。だからだ、簡単に言うと、指導案を作る量が去年までの5倍になったってことだ。なんなら、オレが持ってないクラス(持ち時間数の上限の関係で、自分が入れずに国語科の他の先生にやってもらっているリベ国の授業が2クラスある)の指導案まで、オレが書いて担当の先生に毎週渡してるからね。そう考えりゃあ5倍どころの騒ぎじゃないな。

この頃ね、睡眠が浅くてね。2時間おきくらいに目が覚める。怖い夢ばっかり見て、汗をびっしょりかいて飛び起きる。別にトシ食ってションベンが近くなって起きるんじゃないよ。夢の内容からすると、オレは不安なんだと思う。何に?そんなことは言うまでもない。だから、オレは指導案を全クラス分、書くのがやめられない。それだけ準備してるんだから、大概、うまくいくよ。上手くいくと嬉しい。ホッとする。上手いなあ、オレって思う。ようやくこういう授業がやれるようになったんだってちょっと泣きそうにある。で、また指導案を偏執的に作り続ける・・・。するとまた眠りが浅くなって悪い夢を見て・・・。永久のループ、地獄のようなループだが、オレはそれを好き好んでやっている。

とまれ、オレは今、気が狂ったように指導案書いて、ムッチャいい授業ができるようになった。見たい人、いつでも刈谷東にオレの授業を見に来てくれ。オレに授業をやってほしい学校、声を掛けてくれ。NPO法人CAワークスの事務局に連絡を入れてくれ。こちらから折り返す。

いいぞ、オレのリベ国の授業は。オレの全体重が乗ってるから。生徒が2時間90分の間に学んで、学んだことで変わる姿を見ることが出来るよ。今の世の中に一番足りない、でも、実は今一番希求されている「一回性を生きる」っていうのがどういうことか、はっきりと形になっているんだからね。