子どもを手放してやりなよ、頑張ってさ。

教員をやってると、いろんな親子に出会うね。教員ってのは、言うまでもなく子ども相手の仕事なんだけど、子どもの後ろには親が控えているからね、何かあると親とも対応するんだ。で、改めてこの頃すごく思ったことがあるから、今回はそれを書くことにするよ。

「親御さん、子どもを何処かのタイミングで手放してやれよ、頑張ってさ」

オレね、長いこと学年主任って係をやってきたんだ。自分が受け持った学年は、入学式で親御さんに向かって、必ずこんなふうに言ってきたよ。

「子どもよりも親の方が先に死ぬんです。だったら、自分が死んだ後も、子どもが元気に生き延びていけるように、少しずつでもいい、お子さんが自分で喰っていけるような力を付けさせようじゃありませんか。そう、『自分で喰っていけるようになれ』。これが私の学年の教育目標です。お父さん、お母さん。どうぞ学年の先生たちと同じ方向を向いて、『自分で喰っていけるようになれ』とお子さんを励まして、勇気づけてあげてください」

親御さんたちは、ウンウンと頷いて訊いてくれてるよ。拍手してくれる親御さんもいたりする。

『自分で喰っていけるようになれ』ね。我ながら上手いこと言うなあ。いいフレーズだよ。これ、大事なことだよ、絶対。

でもなあ、これ、実は、言うは易しで、行うは難しなんだ。

気を悪くしたらごめんよ。先に謝っとくよ。

子どもの世話を焼くのを自身の存在理由にしている親御さん、結構いるんじゃないかって、オレは思うんだよね。

「私がいないとこの子は困っちゃうから」なんてね。

「私は一度は俯いてしまったこの子をとにもかくにも、もう一度前を向かせた。私は頑張った。よくやってきた。この子が私の人生の軸だった」なんてさ。

自分じゃあ、あんまり自覚してないかもしれないけど、こんなふうに心の奥底で想っちゃってる親御さん、絶対に居る。

子どもが困ったときは助ける。全力でサポートする。そんなこと、いやしくも人の親になったのなら当然のことだよ(この当然のことができない親が山ほどいるのが現実なんだけど)。でも、子どもが困った状況から脱したら、親は意識して子どもを手放してやらないと。そうでないと、子どもはいつまでも親の影響から逃れられないし、親だって子どもの世話を焼くことが、人生のすべてになっちゃうんじゃないの?

子どもも、そして親も、自分の人生を生きなきゃってダメだろ、ってオレは思う。

子どもだってきっと重い気分になるよ。「おまえの世話をするのが、おまえのことを心配するのは、私の人生のすべてだった」なんて親に言われたら。言われなくても子どもは結構親を見てるからね。敏感に親の気分を感じ取っちゃうよ。

親子のつながり(癒着といったほうがいいかもしれない)は、親御さんが思っているよりも遥かに強いよ。で、親御さんが思っているよりも遥かに子は親を想っているよ。なんせ、親は子どもが出会う最初の人間だからね。よく言うじゃない?鳥は最初に見た生き物を親だって思うみたいなこと。人間の子どもだって同じさ。最初に出会う人間である親をやっぱり自分のサンプルにしちゃうんだよ。そりゃあ癒着も強くなるよ。

だから余計にね、どっかで親が意識して子どもを手放してやらないと。こういうの、俗に「子離れ」って言うのか?

虫の居所が悪いと子どもに暴力をふるう親、子どもの世話を放棄している親、兄弟の世話や家事をやらせて安価な労働力みたいに子どもを使役している親、バイト代をせしめて生活費にしている親。そんなふうに子どもを大事にしない親だっていっぱいいる。その逆で癒着がひどくて意識して子離れしなきゃいけない人たちもいる。

親子の問題も、距離感と他者意識のあり方がキーポイントだと、オレは考えている。