悪場所
子どもの頃から劇場に入り浸っておりました。父親が労演、今で言う演劇鑑賞会の岡崎支部を立ち上げ、その代表を務めていたので、公演の度にいやでも観に連れていかれたのです。
私が子どもの頃の労演で回ってくる芝居は左翼系の芝居が多くて、愛知県の岡崎なんぞという保守的な地方町では、いかな1970年代といえどもお客が全く入らず、客席はガラガラでした。当然赤字が出る。それでも公演を打ってくれた劇団さんにはお金を払わないといけません。どうするか。ウチの父が私財をはたいて払っておりました。父は高校の教員でしたが、給料もボーナスも全部赤字補填に使っていたのです。道楽もいいとこです。よく母親が文句を言わなかったものだと思います。「ウチは貧乏だから」と言いきかされて私は育ちました。子ども心に不思議でした。「両親とも先生をやっていて、子どもはボクひとりしかいないのに、なんでそんなに貧乏なんだろう」と。貧乏のカラクリを知ったのは私が大学生になった頃です。父が心筋梗塞で倒れた日、ICU前のベンチで座っていたとき、ここぞとばかりにそれまでの父への恨み辛みを母親が私に吐き出したときに、ポロッと教えてくれたのでした。
劇場はだから、子どもの頃からなじみのある場所でした。年端のいかぬ子どもでも人が座っていれば、お客が入っているように演者から見えます。小学校に入るか入らぬかのころから「電気が暗くなったら(客電が消えたら)、決して声を出さない。立ち上がらない。もう一度明るくなるまで、じっと座っていること」と厳命されて、客席に座り続け芝居を見続けさせられました。いい子でずっと座っているとバラし(装置をすべて舞台上から撤去することです)が終わって、劇団の役者をその日に泊まる宿(主役級以外のその他大勢は、それはそれはひどい商人宿に泊まらされていました。幼い私は、その宿のボロさにも恐怖したものです。芝居をやると、こんなところで雑魚寝させられるのか、と)に案内したあとで、ミルクセーキ(幼少時の私の好きな飲み物でした)を飲ませてもらえました。
芝居の内容などひとつも覚えていません。そもそも幼稚園の年長さんが十分に理解できる左翼系の演劇なぞ存在するはずがありません。しかし、どんな幼くとも、漠然としたイメージは鮮明に焼き付けられるものです。いいえ、頭で理解できない分、心の中にイメージだけが焼き付いてしまうものなのでしょう。繰り返し観させられたせいで、幼い私の心に深く焼き付いてしまった演劇のイメージは〝暗い情念〟とでもいうものでした。ホリ幕にどす黒い青色、その前にシルエットに近い人物が幾人か。顔が取れるギリギリくらいのシーリングが入って、目をひんむいて、口角泡を飛ばして、汗を全身からしたたらせ、何かを主張している、そんな絵が、これを書いていても眼前に浮かびます。そして主張されている内容は、決してお茶の間のテレビで声高に主張できないようなこと、正しいが多くの人を不快にさせること、美しいが道徳に反すること、そんなことを言い出したら平和な家庭が壊れちゃうじゃないかというようなアンモラルなことなのです。要するに、そこ=劇場は、良き市民生活とは真逆の、イケない場所=悪場所なのだ。これが幼い頃から私の心にすり込まれた、演劇の、劇場(芝居小屋)のイメージなのです。
三つ子の魂百まで、です。今も、こんな年を取ってしまった今になっても、幼少のみぎりに焼き溶けられたイメージは一向に変わりません。いいえ、変わらぬどころか、悪場所のイメージにふさわしい芝居を作り、そんな場所が似合う人間になりたいという思いが日々募っているのを自覚する今日この頃です。
先日も2日ほど劇場に長時間とどまりました。いいなあやっぱり劇場は、と改めて実感しました。学校なんぞに身を置いているときよりも、息が自由に吸える気がしました。今は亡き父が間を取り持ってくれた場所です。営みです。あだや疎かにはできません。志高く、悪場所にふさわしい芝居を、ひさしぶりに作りたくなってきました。

