お礼と述懐

 芝居と謎解きのコラボ、観客参加型公演「月の光」が盛況のうちに終わった。終わって一週間、いまだにオレは公演の興奮の中にいる。

 まずはお礼を言いたい。観に来てくれた人たち、本当にありがとうございました。公演の最中は一宮に泊まり込むから、つい忘れてしまいがちだが、アンケートを見せてもらうと結構みんな遠くから観に来てくれていて、電車代や高速料金もかかって、車ならコインパーキングの料金もかかって、その上で1500円という観劇費用も支払ってくれているわけで、その時間と金選定負担たるや、本当に申し訳なく、ありがたく思う。4回公演だったが、全回満席だった。20人×4公演=80人に負担を強いたわけだ。今回ほど来てくれたお客さんのことをありがたいなと思ったことはなかった。

 もちろん、いいもん作ろうとオレは死ぬ気でやっている。今回の公演は、逆さに振っても鼻血も出ないよ、ってくらい(この喩えが適切かどうかはちょっと措いといて)頑張ったと自分では思っている。辛抱もしたし、演出以外のことにも心を砕いた。

 と、ここまで書いたら、急に説教臭く、自説を開陳する気になった。次の形式段落は、作り手サイドにいる人に向かって書くよ。今回の公演に係わった人だけじゃなくて、演劇でも音楽でも絵でも、芸術として括られるなにかのジャンルに係わって、なにがしかのお金をお客からもらっている人みんなに向かって書くよ。もし気を悪くする人がいたらごめんよ。でも、オレは本気でこう思って芝居作ってるんだよ。

 あのさ、頑張るのは当たり前だからね、時間と金を使って足を運んでくれるお客さんに対して。オレは古いのかな。オレが腹が立つのは、終わった後、「頑張りました」じゃなくって、「楽しめました」って言う役者ね。おまえなあ、っていっつも思う。おまえが楽しむためにお客さんは時間と金と労力を使って観に来てくれてるわけじゃねえんだぞ、って。喰いもん屋だってそうだよ。頑張ってうまいもん作ろうって準備する。でも結果マズいもんしか出せなきゃ、お客は怒って帰っちゃうか、2度と来てくれないだろうが。お客の好みってあるよ、当然。もう少し濃い味がいいな、とか。もっと薄味が好きよ、とか。好みはあるけど、まずはうまいもん作ろうって、お客に「うまい!」って思ってもらおうって、必死で売り物を作る、っていうのが、商売屋の良心なんじゃないのか?「自分が楽しむために作りました。楽しかったです」じゃあ、お客に失礼じゃないのか?そこらへんがなあ、演劇っていうか、芸術やって金取ってるヤツの甘いところだとオレは思うよ。いるんだよ、「楽しめました」っていうやつ。楽しんだっていいよ、全然。でもそれはうまい喰いもんが出せるヤツだけが言っていいセリフだからね。だからオレは必死で努力するわけだよ、結果うまいもんができて、お客が「また来るよ」って笑顔で帰ってくれたら最高だよ。でも、いいもんができる保障なんてどこにもないじゃん。昨日と同じもん作ってりゃあいいてもんでもないじゃん、芸術って。だからね、せめて、作っていく過程はね、血反吐吐くくらい必死でやんないと。そうじゃないと、少なくともオレは、怖くて怖くて、初日の幕が開けられないんだよ。

 だからアンケート、大事ね。アンケートに連絡先書いてくれた人の率、ってオレにとってすごく大事。連絡先書いてくれたってことは、次の公演やるとき、連絡していいよってことだから。もう一回喰いに来てやってもいいよ、っていう意思表示だからね。今回の公演は、その率がこれまでの公演よりもうんと高かったんだよ。オレが有難いな、努力が報われたな、ってしみじみしているのはそのせいもあるんだよね。

 芝居やってるけど、オレは自己満足はいやだな。オレの親父の遺品の中にあった手紙が元になった芝居だ。だから、根っこはオレ自身の私小説みたいなもんで、大金持ちの次男坊だった親父が、なんで戦後労働運動と演劇鑑賞会の運動に身をやつしたのか、って疑問からスタートした芝居なんだけど、芝居として興行する限りはね、喰いもん屋といっしょだよ。うまかったな、また喰いにいこう、って思ってお客さんに帰ってもらわないと。

 逆さに振っても鼻血も出なかった公演終了から1週間、またそろそろ鼻血が溜まってきた。おれは、というかおれたちペンデュラムとCAワークスは、次の芝居のことを考えている。次はホラーだ。もちろん観客参加型の芝居にするつもりだ。テーマは家族。家族とその記憶。これもおれ自身に根っこを持つテーマだ。またこのブログでも中身を整理するために書いてゆくことになるだろう。来年の9月末に公演する。

 きっとうまいもん作るからさ、金と時間と労力を使って一宮に来てもらうに値するものを作るからさ、期待して観に来てほしい。

 今回の公演は本当に「お客さん、ありがとう」だった。作り手として、いい思いをさせてもらった。感謝してる。