断絶は蔓延して、不寛容になりましたとさ

県大会の結果が出た。刈谷東高校は中部大会に行けなかった。結果が出てから5日経ってこれを書いているが、いまだにうまく飲み下せない。今大会にはいろんな思いが込められていたぶん、まったく結果を飲み下せないでいる。

20年以上前。刈谷東に赴任してびっくりしたのは、同じクラスになって1年経っても、生徒がクラスメートの名前を覚えてないことだった。すぐ近くに座っているのに、ひとり一人の距離が果てしなく遠いことだった。いや、距離が遠いどころではない。自分の限られた仲良しグループ以外は、存在すらしていないのも同然のように生徒たちはふるまっていた。「これが不登校の生徒か」。ショックを受けた。

〝閉じた自分の世界から一歩踏み出して、他者といかにしてつながるか〟

思い返せば、私がこれまで高校演劇で書いてきた台本はこれだけが、たったこれだけがテーマになっていた。刈谷東高校で初めて全国大会に行った作品「Making of『赤い日野の記憶』」は、このテーマをむき出しで扱ったものだった。

年月が経って、2020年のコロナの大流行あたりを境に、閉じた自分の世界に籠もっているのは、他者と距離を取ってつながろうとしないのは、刈谷東の生徒だけではないように私は感じはじめた。他の学校の生徒からも、いや、高校生ばかりでなく大人たちからも、赴任した当時に刈谷東高校の生徒たちから受けた感じ(広大な宇宙に星々が点在しているような寄る辺なさ、孤絶感)を感じるようになった。世界中が不登校の生徒になってしまったのか!?世界の在りようがとても気味悪くなった。2024年「便所くん~卒業~」という作品を作って高校演劇の大会に出た。

「便所くん~卒業~」の一部を、長くなるが引用する。刈谷東高校の工業棟の奥深くに、人目に触れてはならぬものとして隠蔽されていた便所くんが、偶然知り合った少女とふたりで、15年ぶりに外の世界を眺めるシーンである。県大会では少女が工業棟の重い大扉を開ける仕草にかぶせて、客電を点灯させた。便所くん(陶器の男性便器)と少女は、客席と正対して、客席を外の世界に見立てて、客の顔が見える状態で以下のようなセリフを言った。

(以下、引用)

少女 便所くん、これが今の世界だよ。

便所 ・・・

少女 どう?どう見えるの?

便所 ・・・

少女 よく見て。世界中みんな便所くんでしょ。あそこも、ほら、そこにも!みんなみんな、ひんやりしてて、すぐ隣にいてもてんでバラバラじゃない?見える便所くん。これが今の世界、コロナ後の2024年の世界、みんなが便所くんになっちゃった世界だよ。どう?どう見えるの?

便所 ボクは何のために・・・

少女 え?

便所 ボクは何のためにこんな姿になったんだ・・・ボクはなんのために便器になったんだ。

少女 ・・・

便所 ボクの15年を返してほしい。ボクはなんのために・・・

便所 しおん(少女の名前。作者注)の言ったことは本当だった。便所くんの世界だ。みんなみんな便所くんだ。誰も求めず、誰も認めず、自分の中に閉じこもり、自分を守ることだけに汲汲となって。そのくせ心の中では、思いっきり他人を見下して!ああ、本当だ。みんな便所くんだ。でも、でもさ、ならなんで、みんな人間の姿をしてるの?恥かしくないの?そんな自分が恥ずかしくないの?あ、そうか。恥ずかしくないのか。だってみんな便所くんだから。比べて、憧れて、自分が恥ずかしくなるような相手がいなくなったからだ。きっとそうだ。なら、どこへ行っちゃったんだ?ボクが穴があったら入りたいくらいにあこがれた、あの太陽のような人間たちは、どこへ行っちゃったんだ?ボクが身もだえして求めた、人と人とのぶつかり合いは!ボクが、夢に見るほど求め続けた、人が人をいとおしく思う気持ちは、一体どこへ行っちゃったんだ!へえ、これがみんなが便所くんになっちゃった世界か。ねえ、しおん、ボクはこんな世界はイヤだよ。みんなが便所くんの世界なんてイヤだよ!こんなふうになるんだ。へえ~。こんな淋しい世界になっちゃうんだ。・・・見なきゃ良かった。見なきゃ良かった!ボクはなんのために・・・

少女 ねえ、いっしょに逃げよ。そうだ、なんならウチに来ない?私、お母さんを説得するから。

便所 無理しなくていい。しおんにはできないよ。

少女 できるよ。きっと・・・

便所 (少女の言葉を遮るように)じゃあ聞くけど!しおん言える?これが私の友達です、って胸張って、ボクのこと、グループの子たちに紹介できる?

少女 ・・・

便所 できないよ。人とちがうの、やっぱり怖いもん。一人になるの、やっぱり怖いもん。しおんだけじゃない、みんな怖いんだよ。こんな、みんなが便所くんになっちゃった世界なら、なおのことね。だから、シカトされてもグループから抜け出せないんだよ。

少女 ・・・月曜日からも会いに行くから。

便所 ・・・ありがとう。でも・・・

少女 でも、何?

便所 ううん、なんでもない。・・・ねえ、しおん。これだけは覚えておいて。ボクは本当に思うんだ。人間は・・・人間はね、こんなもんじゃないんだよ、きっと。

(引用、おわり)

生煮え感のある台本で引用していても気恥ずかしい。「手紙」の方が台本として段違いに洗練されている。が、生煮えでも結構、言いたいことは遠慮せんと全部言ったれや!という気概が感じられる。喧嘩を吹っかけているようだ。誰に?世間にだ。

で、今年2026年。県大会までのいろいろを経て、人間は、いや、今度は若年層ほど、またまた変質してしまったように私には思える。以前よりも遥かに自分と違う存在に不寛容になった感じがする。そうして、上手い言葉が見つからないが、無意識裡に大きな物語に収斂されたがっているように感じる。

刈谷東の生徒の断絶っぷりにショックを受けて、「Making of『赤い日野の記憶』」を書いた。

断絶っぷりが一般の高校生にまで拡がったのに気持ち悪さを覚えて、「便所くん~卒業~」を書いた。

断絶が不寛容に変質した、今の高校生の息苦しさ、気味悪さを目の当たりにして、さて私は何を書くだろう。