役者をやる

あと1週間で「手紙」の公演となった。一宮駅頭でのビラまき、中日新聞の記事のおかげで残席あと1枚だ(10/18 8:25現在)。役者も2人は出来上がった。大きなホールと違って、アングラ劇場用の芝居に演技を作り直さなければならない。あと1人、なんとかなれば良い物をお見せできると思う。一宮スタジオ再出発の、所謂こけらおとし公演だ。良い芝居でなければ困る。

話を変える。

「手紙」に続く11月公演の「笑ってよ ゲロ子ちゃん 殉情編 リーディングバージョン」(長ったらしいタイトルだ)で、オレは役者をやることに決めた。

オレは役者なんぞ、これまでほとんどやったことはない。オレは普段は芝居の演出をする。演劇表現やリベラルアーツ国語の授業やワークショップをする。授業やワークショップというのは役者と演出をいっぺんにやる営みだ。芝居の演出・授業・ワークショップ、オレのやることには全部演出の要素が入っている。そんなオレが、演出は他の人に任せて役者だけをやろうっていうんだから・・・果たしてできるのかしらん?

「手紙」の稽古の合間に、役者の清水万鳳に訊いてみた。「オレ、役者できるのか?」。清水は「できん」と即答した。「だって、先生はいっつも遠くで全体を見てるでしょ?役者は違うもん。相手のことだけ見てるっていうか、その場にいるだけっていうか」もどかしそうに清水は説明しようとしてくれた。

確かにオレは離れて見ている。授業やワークショップをやってるときでも、オレを含むところの場全体を遠くから眺める、もう一人のオレがいる。わからん。役者ってどんな気分なんだ?どんなふうに世界が見えてるんだ?わからん。さっぱりわからん。

でもオレは役者をやると決めた。芝居を演る/観る、の境をなくすことを一宮スタジオの芝居は目論んでいる。その目論見を実現させることが「一宮ほんまち通り商店街を演劇の街に」という大プロジェクトにまっすぐにつながるとオレは確信している。人に演ることを勧めといて、自分が演らないではいかんのではないか。料理だって、自分で作って、まずは自分で味見してから「これ、旨いよ、食べなよ」と人に勧めるではないか。

長くやってる役者は口を揃えて言う、「一遍役者の味を知るとやめられねえ」。オレは「ゲロ子」でオレを使って人体実験をやるつもりだ。「役者の味」ってやつを体感してやるつもりだ。それでこそ、「おう、芝居演るのは楽しいよ、演ってみなよ」と自信を持って、人に勧められるというものだろう。

「手紙」が終わったら、すぐに「ゲロ子」の稽古に入る。このブログでも、オレが体感した「役者の味」ってどんなもんだったかを報告できるのではないかと楽しみにしている。