生徒を見ること
昼の放課になると、オレの学年の先生は、学年の教室と校舎内をぐるっと見て回る。見回り=巡回指導、ではない。見て回る=ブラっと歩く、のだ。
先生みんなで隊列組んで一斉に行くわけじゃない。各人の行けるタイミングで、みんなバラバラで、ぶらっと行く。行って何するわけじゃない。ホントにブラっと歩くだけだ。教室に入っていく。生徒は昼ご飯を食べている。仲の良い子同士で机をくっつけて食べている子もいる。一人で食べている子もいる。声をかけたくなったら声を掛ける。毎日のことだから生徒ももう気にもかけない。しゃべりたくなった生徒とちょっとだけ会話する。シリアスな話なんてしない。お祭りの縁日をブラっと冷やかして歩く感じに近い。お面屋の前で立ち止まったり、綿菓子買ったり、たまにはテキヤのお兄さんとひと言ふた言しゃべったりするじゃない?そんな感じでぐるっと見て回るんだ。高校は給食じゃないから、生徒が喰ってるものもいろいろだ。じっと見るわけじゃないけど、自然に目に入ってくる。家で作ってもらった弁当を食べている子がいる。購買で買ったラーメンをすすっている子がいる。コンビニのパンをかじっている子もいる。
教室を見て回った後、校舎内外を歩く。これもブラっと。グランドをみつめて立っている子が何人もいる。教室の入ってない建物の、人気のない階で座り込んでいる子もいる。図書館のソファで眠っている子もいる。でも、これはホントは寝たふり。声を掛けるとすぐに反応する。
こいつらは、昼飯を持ってない子たちだ。なんで持って来ない?そんなのわかりきったことだ。買う金がないからだ。作ってくれる親がいないからだ。あるいは親はいても、弁当を持たせてもらえないからだ。
こいつらは、昼の放課に教室にいられないんだ。なんでいられない?それもわかりきってる。うらやましいからだ。弁当を作ってもらえたり、買う金を親からもらえたりするクラスメートたちが。だから昼休みになると、教室をそっと抜け出す。グランドを見て佇む。誰にも会わなくて済む、教室が入ってない建物の3階で蹲る。図書館ソファで寝たフリする。
昼休みに教室にいられない生徒たちに、オレら教員は具体的に何をしてやることもできない。めしを買って与える?そんなことできっこない。してはいけない。しはじめたらずっとしなきゃならない、全員に、平等に。生徒は乞食ではない。困った顔してたら恵んでもらえる。そんな誤学習をさせてはいけない。そもそも、生徒にだって、いや、どんな人間にだって、見栄がある、プライドがある。それを親切なフリして踏みにじってはいけない。
オレら教員にできるのは、そういう生徒がいることを知ることだけだ。知った上で生徒に接することだけだ。ヤンチャで悪さばっかりしている男子生徒は、親の話になると「ババア、死ね!」と必ず言うけど、毎日お母さんの手作り弁当をがっついて、嬉しそうに食べてるじゃんとか。すごく明るくて前向きで、クラスの室長やってるあの子は、昼放課は毎日給食室の前で、日向ぼっこしながらグランド見てるなとか。観れば見るほど、知れば知るほど、生徒が立体的に感じられるようになる。生徒が、生活を背負った人間に思えてくる。すると、それまでは40人でひとつの塊に見えていたクラスが、一人一人違う子がたまたま40人集まっている集団に見えてくる。40×1が、1×40に思えるようになるのだ。
オレらさ、塾の先生じゃないんだから、学校の先生なんだから。せっかく学校の先生やってんだから、もうちょっと生徒見ようよ。そんな思いで、オレは学年の先生に、「昼、ぐるっと見て回ってね」とお願いしている。先生方はちゃんと毎日見て回ってくれている。オレはスタッフに恵まれた。ありがたいことだ。
最後に一言。オレ、昼間定時制の教員なんだけどさ、定時制、ちっともラクじゃないからね。もちろんラクしようと思えばいくらでもラクできるよ。でもそれは、どんな仕事でも、どんな職場でも同じじゃない?勉強でごまかすことができない分、ちゃんとやればキツい職場だよ、定時制は。オレ、長く教員やっててね、全日と定時制、ちょうど半々くらいな感じで勤務したと思う。そのオレが言うんだから間違いないよ。
定時制高校は、人間てものに触れてみたい教員にはいい職場だと思うよ。