彼らはどこへいったか

彼らはどこへいってしまったか。私が頭で、手で、創り出した、台本やブログの登場人物たちだ。

生きてる人間なら私と疎遠になっても、彼ら自身の人生がある。しかし、登場人物たちは私が書かない限り永久にその時点に留まることになる。

例えばワークスくん。一宮スタジオを創った頃にブログを書いてくれた捨て犬だ。刈谷東高校近くの河原に捨てられたのを、あんまり可哀想だから「オレ」が拾ってきて一宮スタジオに連れてきたのだ。とそこまで書いて、私はワークス君を見捨てた。もう2年近く、一宮スタジオそばの路地で、ワークス君は固まったままになっている。

例えばブーフーウーとオオカミ。つい最近ブログに登場した。4匹とも老いてしまって、ある者は孤独な境遇に陥り、ある者はボケてしまって周囲の厄介者になっている。オオカミに至っては、老いが何だか理解できず、永遠の子ども気分で3匹の元子豚たちと、子供時代のように遊びたいと願っている。オオカミが老いに抗って、3匹の許を訪ねようと決心したことろで、私はこの哀れな老動物たちを見捨てた。オオカミはブーを訪ねに、ブーが住むタワマンに向かって歩いている。目の前にタワマンはそびえている。オオカミはタワマンを見上げている。ずっと。そこでオオカミの生は止まったままになっているのだ。

例えばゲロ子。「笑ってよゲロ子ちゃん」は私が書いた台本の中でも、最も多く他の学校や劇団から上演許可を求められる作品だ。ゲロ子は信じていた上司に裏切られ、去ってゆく。その後ゲロ子はどうなったか。ずっと気になっている。でも追跡しない。ゲロ子は、心傷つき、スタジオを後にしたまま、永久に世界を彷徨っている。

例えば便所くん。便所君は、人が怖くて便所に閉じこもり、そのまま長い年月が経ってしまったために、ついには男性小便器と化してしまった人間だ。便所君は人を怖がりながらも、人を求めずにはいられない。一人なら傷つかないとわかってはいるが、友だちがほしくて身もだえしている。便所君も私が書いた台本の登場人物だ。便所君が便所から出れるといいなと思って、続きを何回か書いた。何度か出るチャンスはあった。しかし、結局出れないままになっている。便所君はいまでも薄暗い、校舎の3階の男子トイレにいる。私は便所君を便所から出す努力を放棄してしまったのだ。

みんなどうしてるんだ?急にみんなのことが気になったよ。

この3連休に、昔、安城農林で教えた生徒たちと飲んだ。楽しかった。みんな40半ば過ぎのおじさん、おばさんになっていた。私が彼らを担任して、卒業させてから30年以上が経つ。30年以上、私は彼らと接していなくて、それでも彼らは30年という歳月を生き抜いていて、聞けば随分苦労したヤツもいたが、それでも自分の人生を見捨てずに、オレと関係ない所でちゃんと生き続けて、ちゃんとトシをとった姿を見せてくれた。

卒業生と会ったからだな、私が自分の作った登場人物のその後が気になったのは。でも、私のペンが努力を続けなければ、彼らの時は、永久に止まったままなのだ。私は私の登場人物に会いたくなった。やあ、どうしてる?元気にしてたか?苦しいか?ごめんな、いま、お前らの行く末を見届けてやるぞ、って。