タバコについて

おれがタバコを吸い始めたのは18の時だ。

父親はチェーンスモーカーだった。家の至る所にタバコが置いてあった。天井は脂で真っ黄色だった。

高校出たら吸うものだとおれは何故だか思い込んでいた。卒業証書をもらって家に帰るなり、応接間にあった父親のタバコを一本もらって吸った。吸い方だけは幼いころから見てよく知っている。用心して少しずつ吸った。むせることもなかった。別に旨くもなかった。

しばらくは家にあるタバコを勝手にもらって吸っていたが、そのうち自分で買うようになった。父親と同じマイルドセブンをおれは好んで吸った。

父親は心筋梗塞になって以来、タバコをピタリとやめた。おれが二十の時だ。約2年、おれは父親と一つ灰皿でタバコを吸いながら、コーヒー飲んだり、だべったりした。おれも父も酒が飲めない。酒を酌み交わす代わりに、一つ灰皿でいっしょにタバコを吸った。今となっては甘美な記憶だ。

喫煙者は本当に減った。タバコを吸える場所も激減した。最近のことだが、おれがやっているスタジオの中で隠れて吸おうとしたら事務局長のK村が血相変えて飛んできた。スタジオの入っているビルは、煙を感知するとスプリンクラーが作動する仕組みになっているらしい。知らなかった。自分のホームグラウンドですら自由に吸えない。

 喫煙がいいとは言わない。それどころか、タバコを吸うと書いている端から罪悪感のようなものが自分の中で立ち昇ってくる。社会の規制が、気づかぬうちに内面化されているわけだ。薄ら寒くなる。用心しているおれでもこうなのだ。人間は弱い。もっと用心しないと。社会に、通念に、知らぬ間に乗っ取られてしまう。

 タバコやめる気ないんですか?よく訊かれる。今のところは、ない。数少ない父親との思い出がタバコにはあるからだ。