パソコンの具合が
パソコンの具合が悪くて、コピペすらできなくなった。おれは物持ちがいい。このパソコンも随分長く使っている。それでもさすがに買い替えどきか。
今日は以前このブログに書いた『手紙』を朗読に仕立て直して、ごく少人数の人に聴いてもらった。朗読してくれた女優さんも素晴らしい出来で、おれはとても満足している。11月には、今度は芝居に仕立て直して、一宮スタジオで公演する。4公演やる。たくさんの人に観に来てほしい。
話は変わる。前回から自分のことを書いていた。気が済むまで続けてみようと思う。
おれは教員を長くやっているが、教員が嫌いだ。
おれの教員嫌いは中学校に遡る。おれは中学2年まで成績がガタガタだった。勉強は普通にできていた。テストを受ければ全科目90点以上というところか。それなのに通知票は5段階で2がつく。なんでだ?それはおれの素行が悪かったせいだ。授業中先生の話を聞かず、当時つるんでいたツレと悪さばかりしていたせいだ。
忘れもしない。中2の保護者会。担任との懇談を終えて、母親が家に帰ってきて、おれに言った。『進学できなくてもいいよね。勉強がすべてじゃないもんね』あの時の母親の、諦めたような、慰めるような、同情するような口調と表情を、おれは一生忘れない。そして、90点以上の点数をとっても2をつけて、母親に進学をあきらめるように引導を渡した中学の教員の仕打ちを、おれは一生忘れない。あんな無念そうな母親を見たのは後にも先にもあの日のあの瞬間だけだ。その日、中学2年のおれは誓った。母親にあんな表情を2度とさせるかと。おれは翌日から先生に媚びた。毎時間全科目、先生の所に質問に行った。授業の内容など質問しなくても理解できる。それでも媚びるために質問に行き続けた。教室内の座席も志願して一番前の席に変えてもらった。前の席など息苦しいばかりだ。それでもやる気ですアピールをするために前の席を志願した。おれはまさかそんなことで成績があがるなどと思ってなかった。いや、半々だったかな。態度をよくすりゃあ成績は上がるはずだという確信のようなものはあった。でもあと半分は、いやしくも評価する権能を有している教員なら、中坊の見え透いた媚びなどに惑わされずに、信念を貫いて2をつけ続けてくれる教員が一人くらいいてくれたらいいなという教員に対する信頼したい気持ちもあった。結果は・・・。おれが媚び始めるや、急に2が5になった。全科目、1教科の例外もなしに2が5になったのだ。おれは一年間媚び続け、そして県下でも有数の進学校に進んだ。母親は成績が上がって、ちゃんと高校に進学できたことをとても喜んでくれた。もちろんおれ自身も嬉しかった。でもね・・・。
なんで媚びると2が5になるんだ?取っている点数は以前と変わらないのに。しかも1科目の例外もなしに!おまけに成績があがるにつれて、先生たちは目に見えておれに優しくなった。授業を聞かなかった頃は蛇蝎のごとく嫌われていたのにだ。勉強ができる生徒には先生たちは優しくするんだと、おれは中2ではじめて知った。なあんだ。先生ってのは、自分の言うことをきくいい子が好きなんだ。くだらねえ。ホントくだらねえ。テストの意味ないじゃん。中2のおれはそう思いながら、いい子のフリをして、先生の許にせっせと質問に通った。こうやって改めて書くと、おれもヤな中学生だったなと思う。
高校に入学した時、大学入試は内申など関係なくて、入学試験当日に点数を取ればいいということを知った。もうこれで教員に媚びなくて済むと心底嬉しくなった。だから、高校入学してからは教員に媚びることなど決してせずに過ごしてきた。大人になってからもそうだ。媚びるなんて卑しい行為だ。媚びると胸糞悪い。それは中学生の頃に骨身に沁みてわかったことだ。
おれはだから、成績や態度で生徒を差別しない対応を変えない。おれがいい教員かどうかは自分ではわからない。だが、自分がやられていやだったことはしない。それが人としての矜持というものだ。