心に届く朗読サークル

半田市で朗読の指導を10年続けている。

“心に届く朗読サークル”という団体だ。

今年も6月に発表会をやる。おれはいつも司会をやらせてもらっている。

半田の市民講座でやった朗読教室がキッカケだった。おれの講座があんまり面白いので、受講生の何人かが、このまま続けて朗読をやりたいと言ってくれたのだ。 

サークルは年間を通して活動しているが、おれが指導するのは、そのうちの3か月くらいだ。桜の季節になる頃、代表のDさんから電話がかかってくる。「今年もそろそろお願いします」その電話から、おれの指導が始まる。年に1回の発表会に向けて準備を始める。

10年も付き合っていると、気心が知れて来る。弱音も吐けるようになる。おれの母親が寝たきりになった時には、みんなでいろいろとアドバイスをくれた。朗読の練習より盛り上がった。一宮スタジオができた時は半田からわざわざ一宮まで来てくれた。高速の降り口が分からなくて怖い目にあったらしい。

みんな歳を取った。初めて会った時より10年分おばあさんになった。人前で声を出して本を読むことが、体力的にキツくなっている。声を出すことは健康に良いというが、体力もうんと消耗する。練習でも自分の読む順番が終わった後は、みんなうつらうつらしている。他の人の朗読も聴かないと、と言いたくなるが、おれは絶対言わない。健やかな寝顔を見ている。本を読んでもらいながら眠りに就く小さい子のような、健やかな寝顔だ。みんなもう、後期高齢者なのだ。一人10分ほどの朗読だが、さぞかしキツいだろう。

朗読の指導しているくせに、おれは、読み方なんかどうでもいいと思ってる。ちょっとばかしキレイに読めたって、そんなもん全然意味がない。なんなら呂律が回らなくって何言ってるかわからなくても全く構わない。おれが目指しているのは、そんな朗読ではない。

6月の第3土曜、半田の雁宿ホールで発表会がある。満員のお客さんの前に立って、一人ひとり朗読をする。時間がある人は見に来てほしい。

見に来てほしい?

そう、おれは見てほしいのだ。メンバーの立っている姿を。

大風呂敷を拡げるが、人生そのものが立っているように見えるよ。人の一生が、あんたたち観客の目の前に立って、本を読んでいるように見える。

またまた大風呂敷を拡げる。彼女らのやっていることは朗読ではない。舞踏のパフォーマンスだと、おれは思っている。

“心に届く”という団体名はダテではない。

括られない、個人を表現するのが芸術だ。替えの聞かないあなたを表現するのが芸術だ。

6月の発表会、おれは彼女たちの姿を目に焼き付けておくつもりだ。