井の中の蛙

サングラスかけて、真っ黒な服着て、「オラオラ~」って感じの喋り方で、日々の仕事や芝居作り、ワークショップをやってます。そういう自分は嫌いじゃあないけど、あえてキャラを作っている感じも自分ではしています。かと言って素の自分は、と改めて考えてみると、これといって思いつかないのも本当で、キャラという仮面を長い間被り続けてしまったので、仮面が素顔に貼りついてしまったのかもしれません。まあ、行けるところまで行くしかないか。このキャラをやることで成り立っている場所、場面もたくさんあることだし。

植島啓司という宗教人類学者がいて、僕は結構好きでたくさん読んでいるんだけど、彼の本の中にこんな一節がありました。たまたま手元にあったから、引用します。「「井の中の蛙大海を知らず」ということわざがある。自分の狭い世界だけに閉じこもっている人を指して使われることが多いのだが、一節で、これには「天の深さを知る」という続きがあるとのこと。狭い井戸の中でジャンプしたり遊んだりしているうちに、だれも気が付かなかったことが見つかるかもしれない。」(植島啓司『生きるチカラ』より)

なるほどね。なら、僕もこのキャラという狭い井戸の世界の中でもうしばらくジャンプしたり遊んだりしてみようかな。

突然話は飛びますが、11月に芝居をやります。『月の光』という新作です。父親の遺品の中にあった手紙を元ネタにして書いたものです。新しい試みがいくつも詰まった作品です。いろんな人の思いがたっぷりと乗った作品です。是非是非観に来てください。

今週も来週も稽古です。どんなにシンドくても、重い体をひきずって、仮面をガシャンと被り直して、現場に足を運んでいます。別の生き方もありそうなものなのに、そんなことはわかっているのに、それでも稽古場に足を運ぶのです。学校の仕事だって、演劇のワークショップだって同じです。言うまでもないことですが、楽しいことばかりがあるわけじゃあありません。辛いことや困ったことなんてキリなくあります。でも、それでも、もう何年も、いいえ、何十年もやり続けてしまいました。

本当に長い間、教育・演劇という狭い井戸に中で生きてきてしまいました。が、天の深さを知るまでは、やはりこのキャラは、仮面は外せそうにありません。わかっちゃいるけどやめられない。つくづく自分の業の深さを感じます。