GW
GWです。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
オレは籠って仕事をしています。ちっともイヤな気分じゃないです。普段は毎日毎日を凌ぐのに精いっぱいで、明日の準備すら十分にできないで明日を迎える、所謂「火の車状態」ですから、仕事するのにまとまった時間が取れること自体が結構嬉しいんです。
自分のペースでやれるのも嬉しい。学校ってところは突然いろんなことが起こりますから。生徒が泣いて相談に来た、煙草の吸殻が落ちていた、3階のトイレの水が流れない、あんたの学年の女子はスカート短いんじゃないか?、この行事の準備計画ってこれでいいんでしょうか?、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ・・・。学校行ったら自分のペースで仕事なんてできません。来た球をいかに的確に、すばやく打ち返すか。それだけに専念することになります。学校も演劇もワークショップも、反射神経が勝負の世界です、実際のところ。だから嬉しいんです、自分のペースで仕事ができるだけで。
考えてみれば、学校の仕事も、芝居も、ワークショップも、みんな人間相手、他者相手のの営みなんですよね。
他者はオレではありません。オレと他者はペースも考えていることも違います。他者がいま何を考えているか、どんな問題を抱えているか、オレにはわかりません。「違っていて、しかも予測不能」これが他者という存在です。学校や劇場やワークショップの場で、オレの想定外のことが次々に起こるのも、当然と言えば当然のことなのでしょう。そんなことを、オレは何十年もやってきたんですよね。偉いな、オレ。タフだな、オレ。
GWのころって、少し喘息の具合も心配なんですよね。昔むかしの話になりますが、喘息の大きい発作が起きて、休日診療に駆け込んで、点滴打ったのもちょうどこの季節でした。なんかアレルゲンになる物質が飛んでるのかもしれません。きっと、おとなしく家にいるほうが無事なのでしょう
来週土日はCAワークスの春の公演があります。せっかくの土日なのに、まったく自分のペースで動けないわけです。なら、このGWでその分の仕事まで片づけてしまわないと。
こんなふうに書き募ってみて、ふと思ってしまいました。なんでオレは、こんなに働かなきゃならないような人生を選んでしまったのだろう?学校の仕事の内容だって、NPOだって、芝居つくりだって、演劇のワークショップだって、誰かに頼まれて始めたものじゃないんです。自分でやると決めて、自分で選んでやってきたものなんです。なんでオレ、こんなにたくさんのことをやるって決めちゃったんだろう?
同じ量の仕事をやらなきゃならないとしても、たとえばそれが自分のペースでやれる仕事ばかりだったら、きっと全然疲れ方が違うだろうし、オレって人間自体も、随分違う感じの人間になってたような気がします。なんせ人生の時間の1/3は仕事している時間(オレの場合はもっと多いかも)なんですから、従事した仕事の量と質が、その人間の成り立ち(見た目や中身)に影響を与えないわけがないですよね?
仕事選びは大事だ、人生の一大事だと、GWに一人机に向かってブログを書きながら改めて思いました。