サングラス

 昼も夜もサングラスを常用している。来ている服は上から下まで黒一色である。

 今日はそうなったきっかけを書く。

今の勤務校に転勤して一年目は何をやってもうまくいかなかった。学校に行くことが苦痛で、一年で年休を使い果たした。使い果たすだけでは足りず、欠勤をして減給になった。  

職員室の自分の席に落ち着いていることすらできなかった。一日中喫煙室にいた。やめれば、と言う声がどこからか聞こえたが、小心者で踏ん切りがつかなかった。教育という仕事に愛着があったのも踏ん切れなかった一因だった。そんな自分がいやでしょうがなかった。もう何も失うものはないと毎日思っていた。教員になって15年が経って、40近くになっていた。今書いていても、あの年のおれはダサすぎる。

ある日、おれは急に開き直った。

あかんとこと、みんなやったれ。

急にそう思ったのだ。初めてサングラスを常用したのはこの年だ。目がもともと、光を過敏に感じるタチではあったが、いつも眩しそうにしかめて、細めている自分の目の形が鏡を見るたびに嫌いだった。泣き虫の目、弱虫の目だ。学校に行くことすらビビッてできない、今のおれそのものの目だと思った。素通しの眼鏡では、弱いおれがモロに見えてしまうと思ったのだ。

35パーセントのブルーとグレイの中間くらいの色を入れたサングラスを作った。外からは、目がうっすらとしか見えない。サングラスをかけた自分を初めて鏡で見た時、妙に安心した気分になったのを今でもはっきりと覚えている。サングラスは劣等感の克服の歴史。たしか野坂昭如がそんなことを書いていた。その気持ちは痛いほどわかる。以来、人相が悪いと言われようと、それでも教員かと言われようと一向に構わずにずっとサングラスをかけている。

服も上から下まで全部真っ黒にした。なんで?と訊かれるたびに、こう答える。あらゆる色をどんどん混ぜてゆく。すると最後には黒になる。だから黒は最も豊饒な色なのだと。良いも悪いも、キレイも汚いも、聖も俗も全部がおれのなかにある。だから黒を着るんだと。半分はホンネで、半分は黒色がもっとも汚れが目立たない色だからなのだが。

 芝居もこの年から書くものがガラッと変わった。あかんことみんなやったれ。台本は覚えなくていいように朗読劇の体裁をとった。セットは作らない。起承転結、きちんとしたストーリーもなし。役者は素人だけ、しかも人目が怖い不登校経験者の生徒だけを出演させた。

 この年に書いた芝居で、おれははじめて中部エリアで一番になって全国大会に行った。定時制高校が全校大会に出場するのは60年ぶりのことらしく、役者が不登校経験者ばかりということもあって、新聞やテレビでたくさん扱われた。この芝居を書いたことが、そのあとのおれの方向を決めた。芝居を書くのに要した時間はわずか1時間半だった。日曜日の朝、早く起きて書いた。あの1時間半がその後を決めたと思うとなんだか夢物語のようだが、なんのことはない、おれの中に溜まりに溜まっていた怒りや、悔しい気持ちや、自分や世界に対する敵意が、あの日曜の朝の1時間半に凝集して噴き出したのだろう。自分の中にあるもの以外書けないし、自分の中にはすべてがあるのだ。

 絶望することは大事だ。自分の経験からそう思う。サングラスと黒づくめの服は、あの頃のおれの、絶望の証なのだ。