CAワークス春公演間近!

CAワークス春の公演『悲劇VS喜劇~清水万鳳スペシャル~』が近づいてきた。土曜日は午後からずっと稽古をした。

演出は難しいなとつくづく思う。イメージはあるんだ。それをいかにして役者に伝えるか。そしてどこまで妥協せずに役者に要求できるか。

煎じ詰めれば、それって役者と演出家の信頼関係がすべてなんだよなあ。

清水はずっとオレの芝居に付き合ってくれてる。オレの演出に慣れてるはずだ。それでも共有は難しいんだ。オレは真剣に伝えようとする。清水だって真剣に理解しようと努力している。でもね、持っている言葉が人間それぞれ違うからね、イメージというか意図が、なかなか正確に伝わらない。手を変え品を変え、たとえ話をしてみたり、言葉を言い換えてみたり、試しに実験してみたり、揚句怒鳴り散らしてみたり・・・そりゃあもう、完全なタイマン状態だ。「そこで右手上げて、はい、3歩歩いたら振り返って、そこでセリフ」なんて段取り芝居、オレたちは作ろうとしていないから。オレたちが今回の公演で狙っているのは(特に悲劇『月の光』で)、もっと微妙なものだからね。

オレは、清水のからだを通して、演劇体験をお客にしてもらいたいと目論んでるんだ。劇場まで足を運んで、ナマの役者を目の前にして、観客が体験できる経験ってなんだろう。映像やYouTubeチャンネルを観ているだけでは決してできない経験ってなんだろう。今回はそれをお客さんに経験してほしいんだよ。どうせ20人そこそこしか入らない、ちっちゃなスタジオなんだから、演劇独自の実験をしなきゃあ、スタジオやってる意味がないだろ?

というわけで、オレと清水はほぼ喧嘩状態で、半日以上芝居の稽古をした。稽古が終われば、あとくされなしで普通に仲良くできるって信頼感があるから、あれだけ遠慮なく稽古つけれるわけで、なかなかそういう役者はいないよ。勘はものすごくいいからね、清水は。腑に落ちれば早いんだ。

チケットはまだありますからね。原理的な演劇体験ってもんを経験してみたい人は是非観に来てほしい。損なさせないよ、って言えるところまでは土曜日の稽古でやっとたどり着いたからさ。

オマケ。『月の光』は、オレにとっては、自分の父親の許にあった手紙を素材にした私小説みたいな芝居なんだ。思い入れもたっぷりある。親父の遺影を小道具として舞台で使おうとまで考えた。効果がないと判断して結局やめたが、使えるもんはなんでも使ったれと、腹括ってこの芝居を作っている。前説でちょっとだけ、そんな話をさせてもらう。話すことで、芝居が良くなる確信があるからだ。オレもいっぱしの芝居者になったのかもしれんな。いいもんつくるためなら何でもやろう。お客に感動してもらうためなら立ってるものは親でも使おう。なんて怖ろしい。芝居なんざ、真っ当な市民のやるもんじゃないな、やっぱり。

5月公演、乞うご期待。