人の振る舞いの基盤は
「人の振る舞いの基盤は、堅い岩である場合もあれば、沼沢である場合もある」
スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャッツビー』(菊池光訳)
両親ともに教員だった。オレも教員になった。父親は途中で大きな病気をしたが定年まで勤めた。母親は父親の退職と同時に早期退職をした。
2人は退職金をはたいて、愛知県の奥地に小さな別荘を建てた。
2人がそんなことに退職金をつぎ込んでいるなんて、オレはつゆ知らなかった。
ある日曜日、父親が突然言った。「ちょっとつきあえ」。車に乗せられて連れていかれたのが、その別荘だった。
「どうだ」カギを開けて、別荘の中にオレを招い入れて、父親は言った。わざわざ現地に着くまで黙っていて、ビックリさせようという魂胆だったんだろう。
「風呂は総檜なんだぞ」父親は言った。
「この屏風はね」母親は、古ぼけた衝立をさすりながら言った。「安土桃山時代のものなんだって」
オレは大仰に感心してみせたと思う。期待に応えなきゃ。オレは咄嗟に思うタチなのだ。
でもホントは、オレはガッカリしたんだ。
そもそもオレは、自然にも、骨董品にも、お抹茶(何故かお茶を点てるセットが一式置いてあった。その日、オレは父親が有難そうに点てたお茶を古びた茶碗で飲んだ)にも、全く興味がない。
それに・・・父親も母親も労働運動の闘士だったはずだ。父親は教員の労働組合の副委員長、母親は婦人部長をやっていた。父親は高校生のオレに毎晩毎晩マルクスだの、レーニンだのと社会科学の基礎を得々とレクチャーした。母親は事あるごとに「わっちは反権力。威張るヤツは大っ嫌い!」とオレに吹き込んだ。
そんな2人が別荘たあ何事だ?別荘なんていかにもプチ・ブルじゃないか!あんたらは、己が体以外になんの資本も持たぬ者の側に立って、生涯を送ってきた人間じゃなかったのか!オレにそう言ってきたじゃないか。オレは信じてたのに。信じて、あんたら2人の生きざまを誇りに思っていたのに!
自分の有限な時間を売った金で建てた別荘だ。オレにとやかく言う権利なんてありゃあしない。でもなあ。よりによって別荘とは・・・。
オレはその日、言われるままに、お抹茶をいただき、総檜の風呂に入った。檜の風呂は木のいい香りがした。
30年近く前の話だ。父親も母親ももうこの世にはいない。別荘はまだある。朽ち果てて、あの場所に、まだ残っている。
あの別荘が、あの別荘を初めて見た日に抱いた思いが、今に至るまでのオレの振る舞いの基盤だ。