この人から受け継ぐもの
父は正真正銘のディレッタントだった。
眼鏡は本鼈甲、時計はロレックス、スーツはすべてオーダーメイド。本には金を惜しまなかった。家中の壁という壁が本で埋め尽くされていた。
家ではパイプを燻らした。珈琲を好んで飲んだ。豆にもこだわりがあり、モカマタリをいつも注文した。高価な骨董品を買い、日常の具とした。左翼思想と浄土真宗の教えに傾倒していた。労働組合運動と労演の活動に、金も労力も時間もつぎ込んだ。口がうまく、颯爽としていて、そこにいるだけで威圧感があった。
そんな暮らしぶりだったから金はいくらあっても足りなかった。両親共働きなのになんでうちはこんなに貧乏なのかと子どものおれは思っていたが、何のことはない、父がすべての稼ぎを、自分の趣味や活動につぎ込んでいたせいだ。
おれは高校の3年間、父の講義を毎晩聴いた。パイプを燻らし珈琲を飲みながら、父は倦むことなくおれに話し続けた。文学、芸術、社会科学・・・話題は多岐にわたった。持てる知識と経験のすべてを、一人っ子のおれに注ぎ込もうとしているように思えた。
おれが30代の半ばになる頃、父は死んだ。
父には9人の兄弟がいた。形見分けだと言って、葬式に出たついでに家に上がり込み、値が張るものから根こそぎ持ち去った。ハイエナのようだった。おれの手元には本鼈甲の眼鏡とロレックスの時計、そして膨大な量の本だけが残った。
おれは父から何を受け継いだか。
格好の付け方というか、やせ我慢の仕方というか、そんなぼんやりとしたものを受け継いだのだと、おれは思っている。それはぼんやりとしていて、斯く斯く云々とはっきりと言葉にできない。が、それは生きる姿勢のようなもの、生き方の背骨にあたるものだ。おれの判断や行動を、深い部分で規定するものだ。
おれはまかり間違っても、あのハイエナどものような振る舞いはできない。それは父親から受け継いだものに反するからだ。