「笑いの伝播」
先日、大府市の石ケ瀬公民館で、年配の男性ばかりを対象にワークショップをやりました。お年を召された男性の社会参加を促すことが目的の会、とのことでした。
総勢十五名ほどの固定メンバーで、これまでにもいろんな講師の方を呼んで自己啓発に励んでいるのだと、前情報をもらっていました。
話す、聞く、「間」をつくる。これが私のやっている「リベラルアーツ国語」で扱う内容です。私がワークショップをやらせていただくなら、話したり、聞いたりするコツ?を話題にすることが求められているのだろうと考え、「偏愛マップ合コン」という「リベ国」の定番レッスンを用意して、会に臨みました。
勤め先の学校で授業をやるときも、今回のようにお呼ばれしてワークショップをやらせていただくときも、もちろん予め何をやろうかと考えてから臨むのですが、参加者のお顔を拝見して、その場で感じたことをベースにして内容を組み立て直すというのが私の流儀です。ですから、予め考えていたこととまったく違うことをやってしまうこともしばしばです。でも、それでいいと私は腹を括っています。右回りでも良いし、左回りでも良い。うんと迂回してグニャグニャ道をどこへ連れられていくかわからずにさまよい歩いても良い。最後にゴールに辿り着ければ、それでいいのです。今目の前にいらっしゃるみなさんといっしょに歩くのなら、どの道が一番ふさわしいかとまず考えてから、授業の、レッスンの、ワークショップの場を開くのです。
今回の参加者の皆さんのお顔を拝見して、私はすぐに「偏愛マップ」よりも先に、違うメニューを差し込むことに決めました。それは、参加者の皆さんがとても真面目な顔をしてらっしゃったからです。もう少しだけ言葉を選ばずに言えば、参加者の皆さんが、とてもしかつめらしい顔と態度をしてらっしゃったからです。
私は、「笑いの伝播」というレッスンをやろうとその場で決めました。
「みなさん、笑えますか?」私は参加者さんたちに問いかけました。何を言い出すんだ、という顔をみなさん一様にされました。
「どうですか?笑えるものなら、すいません、笑ってみてください。あなた(ト、一人の参加者さんを指して)、すいませんが、声を出して笑ってみてください」私はお願いしました。
指された方は、ちょっと戸惑っていらっしゃいましたが、「ハハ」と声を出されました。「ハハ」と笑い声のような声を発してくださったのですが、顔はというと、先ほどと何ら変わらぬ真面目なお顔のままでした。
私は言いました。「それが、笑った顔ですか」と。そして今度は参加者全員にもう一度訊きました。「みなさん、今、ごらんになりましたね?今の方、笑ってらっしゃいましたか?ハハ、と仰有っただけじゃなかったですか?あれが笑うという行為ですか?みなさん、もう一度、お尋ねします。みなさんは、笑えますか?笑えるなら、今から私に笑って見せてください。さあ、レッスンを始めましょう。立ってください。もうメモなんて取る必要ありませんから、鞄に仕舞ってください。一列に並んでください」
こんなふうにして、私はレッスンを開始しました。「笑いの伝播」というレッスンです。参加者全員が一列に並んで左から右へ、笑いを順に伝えていくのです。笑いのリレーみたいなものです。ただし、前の人よりも少しだけ、大きく笑わなければいけない、というルールです。一番端まで笑いのバトンを渡したら、今度はUターンして戻ってきます。ですから、一番初めに笑い始めた人が、一番最後にまた、誰よりも大きく笑わなければいけないのです。参加者のみなさんは素直にレッスンを始めてくださいました。でも、ちっともダメでした。笑えないのです。まずは笑顔が作れないのです。そして大きく笑うことも出来ないのです。身をよじって、腹を抱えて、床を転げ回って・・・、笑いが大きくなっていったら、自然とそんな身体の動きになります。でも、今回の参加者さんたちは、少し声のボリュームが上がるだけで、からだもまっすぐ突っ立ったままなのでした。
おかしな話です。私たちは子どもの頃、もっと感情表現を素直にしていた筈なのです。泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだり、ピョンピョン跳びはねて喜んだり、足をバタバタさせて悔しがったり・・・。一体いつから私たちは、感情表現をしなくなってしまうのでしょうか。そしてそのなれの果て(失礼)が、笑い顔ひとつ作れない、おじいさんたちなのです。
「アランという哲学者が言っています」私は、笑うことひとつ出来なくなってしまった自分をやっとのことで自覚してくださった参加者さんたちに語りかけました。
「楽しいから笑うのか、笑うから楽しくなるのか、と。みなさん、笑えないってことは、楽しい気持ちも薄くなってらっしゃるんじゃないですか。心もみなさんのお顔同様、からだ同様、固くなってしまっているのではないですか。さあ、まずは、笑い顔を作ってみませんか。」
おひとりだけ、上手に笑顔になれる参加者さんがいらっしゃいました。「お上手ですね、笑うの」と私が声を掛けると、「現役の頃は、スーパーで働いていましたから」と答えてくださいました。「笑う練習とかされるのですか」と訊くと、「そりゃあもう、笑顔で接客した方が、やっぱり売れ行き上がりますから」と仰有いました。
その後は、参加者全員で、顔のマッサージです。その後、もう一度「笑いの伝播」をやりました。そんなにすぐには上手に笑えるようにはなりませんが、それでも私がはじめてお会いした何分か前よりは、随分と場があったまったというか、いっしょにみんなで学ぼうという空気になった気がしました。場があたたまる、というのはこういうことを言うのでしょう。
そのあとでようやく「偏愛マップ」に移りました。「偏愛マップ」は自分の好きなものを書かなければなりません。心が固くて、裃をつけた、真面目一方の状態では、「偏愛マップ」は作成できません。後付けで考えたことですが、きっと私はそう思って「笑いの伝播」を差し込んだのでしょう。
会の終わりがけに、主催の女性の方が言っておられた言葉が印象的でした。こんなことを仰有いました。「高齢者は1日何回笑うと思いますか?平均して1日2回なのだそうです。幼児は300回(←この数字はちょっと記憶が曖昧です。3桁だったことは間違いありませんが)なんだそうですよ」
さて、ようやく自分のことに話題が戻ってきました。私は参加者さんたちに、笑えなくなっているご自身の現状を突きつけたのですが、私自身はどうなのでしょうか。屈託なく笑えているでしょうか。怒り、嫉み、妬み、或いは諦めから来る無関心・・・。そういった感情に、私自身支配されていないだろうか。不安になりました。
ワークショップが終わって、帰宅する途中の車の中で、私がこっそり笑う練習をしたことは言うまでもありません。

