現場の男
高校の同窓会があった。いままでオレは中学校も高校も大学も、同窓会と名の付くところに一度たりとも行ったことがない。何故かはわからない。今回初めて行ってもいいかなと思った。何故かはわからない。
でも、結局は行けなかった。ワークショップがあって、その後で、5月~6月にかけての出前授業の打ち合わせをしなきゃならなかったからだ。
行けない旨をメールで幹事に送った。高校の時、卓球部でいっしょに3年間やったヤツだ。
「大阪にも行くとはワークショップは好評なんだね。そんなに若くないので、体には気をつけてね」と、そいつから返信があった。
返信みて思った。そうかあ。オレは、もうそんなに若くないのか。
何が堪えるって、同級生から「もうそんなに若くないから」と言われるのが一番堪える。
先週も、他校の教員と焼き肉を喰った。老けていた。加齢に応じて、徐々に老けたのではない。若い頃に年齢不相応に老けて、そこで老け具合が止まっている感じだった。そういう戦略もあるのか。
先週までインタビューをさせてもらった中根さん(76才)は、つい最近、「10年前とは別人のように老けた」と知り合いの坊主に言われたそうな。10年前といやあ、中根さんがちょうど退職した頃だ。仕事やめて、肩の荷が下りて、別人のようにジジイになったのか?
どういうヤツが老けるんだろう。オレは解明したい。
昨日、必要があって、久しぶりに芝居の稽古っぽいことをしてみた。
ほんのワンシーン、演出つけただけだったけど、いやあ、良かったわ。時間が過ぎるの忘れちゃってたもん。血がたぎる感じがしたもん。
リベ国の授業やワークショップをこの頃随分たくさんやってるけど、こういう感じはないもんなあ。
リベ国は、オレは「場」を開くだけだ。集団と対峙している。
芝居は、というと、役者一人と対峙する感覚だ。
それを昨日は思い出したな。
骨の髄までしゃぶってやろう、内蔵まで引きずり出して、おまえの良いところもヤな所も全部晒してやろうと思って、オレは芝居を作ってたのを、ほんの少しだが、昨日は思い出したな。
でもね、オレがその気になるのは、その気にさせてくれるような役者が目の前にいるときだけなんだよ。オレは台本書くし、演出もする。でも、それは、オレが一人でやってるんじゃなくて、役者がその気にさせてくれるんだ。役者が書かせてくれて、演出させてくれるんだよ。
つくづく現場の人間だと自分のことを思う。高校生、大学生の頃、オレは文学に憧れた。文字を書いて世界を作ることに熱烈に憧れた。
ところがどうだ。この年になって、気がついてみりゃあ、そんな書斎に籠もって文字を書く生活と全く逆の、現場仕事ばかりしている。
学校の先生もそうだ。「リベ国」の授業もそうだ。芝居もそうだ。全部人間相手の、現場仕事だ。そして、それをするのが、今のオレは、イヤじゃあないときている。
高校の同級生は、今のオレを見たらどう思うだろうか?なんせ、高校の時のオレは、文学の徒だったから。頭でっかちの、世界の苦悩を一身に背負っているような顔したヤツだっかたからさ。人間、変われば変わるもんだ。
現場仕事を続ける限りー目の前にいる人間と切り結ぼうという欲望を失わない限りー、オレはなんとか老け込まないでやれそうな気がしているんだよ。