無聊

このごろ、母親のことをよく思い出す。

父は69で死んだ。母は3つ下だから、66まで父といっしょにいたことになる。晩年の父は脳梗塞を患って右半身が動かなかった。母は父の介護をひとりでやっていた。

父が死んだあと、母は「やることがない」と言ってさめざめ泣いた。絞り出すような泣き方だった。オレは30代の半ばくらいだったが、「好きなことをやりゃあいいじゃん」と何も考えずに答えた。

さめざめと泣いた母の心の中を、60すぎた今になって、オレはようやく実感を伴って想像できるようになった。父の介護は、母にとっては「やること」だったのだ。自分の存在価値を実感できる、やれば感謝される、かけがえのない「やること」だったのだ。

母は88で死んだ。父が亡くなった66のときから、母自身が死ぬまでの20年以上、母は「やることがない」日々を過ごした。父が死んで「やること」が取り上げられてしまったのだ。それまでのように自分の存在価値を実感できるものがなくなってしまった。感謝してくれる相手もいなくなってしまった。「無聊」という言葉があるが、あの広い実家にポツンとひとりぼっちで、20年に以上に亘る無聊の日々を母はどうやってやり過ごしたのだろう。母親は会うと、自分の自慢話ばかり蕩々としゃべる。それがイヤでオレは実家に寄りつかなかった。オレは無聊に苦しむ母親を20年以上にわたって放置した。オレは母にむごいことをしてしまった。

無聊の日々の中、母は、昔からの知り合いの先生の介護という「やること」を見つけた。車を小1時間運転して、知り合いの先生の家に毎日通うようになった。「わっちが行ってやらんと○○先生、生きてけんでな」母はオレに会うたびに、とても嬉しそうに○○先生の話をした。自分がどれだけ○○先生の役に立っているか、自分がどれだけ○○先生から感謝されているか、とめどなく話し続けた。そして、同居していても一切世話をしようとしない、○○先生の息子の嫁のことを口を極めて罵った。

母は死ぬ1年前に自宅前で転んで、歩けなくなった。寝たきりになったあと、オレは初めて知ったのだが、母の足にはひどい拘縮があった。5本の足の指が2本にまとまってしまっていた。鶏の足のようだった。こんな足になるには、たいそう時間がかかるだろう。歩くだけでも痛いだろうに、○○先生の家までよくも運転して通っていたものだとオレは思った。

きっと、足の痛みより、無聊のほうが母にとってはやりきれなかったのだろう。

母は死の間際までボケていなかった。動かぬからだ。ボケてないアタマ。もう○○先生の介護にも通えない。ここに至って無聊は完全に母を捕らえた。

あの最晩年の寝たきりの1年間、母は黙って何を考えていたのだろう。