本を出す。

本を出す。3月刊行だ。タイトルがすごい。「教育が臆病になるとき、子どもは社会の残酷さに丸腰で放り出される~生き延びるための授業「リベラルアーツ国語」~」。長いタイトルだ。そして挑発的なタイトルだ。このタイトルは本屋がつけた。タイトルは勿論中身を反映してなきゃいけない。本屋がオレの原稿を読んで、これが最高!これがピッタリ!と思ってつけてくれたのだろう。「リベ国」のレッスンが30並んでいて(1年分の授業内容だ)、レッスンごとにオレの写真が入っている。オレがレッスンでしゃべった言葉が書き留められているから、うまくいけば、写真のオレが喋っているように見えるんじゃないかな。今、2回目の校正をしている最中だ。出来上がりが楽しみだ。芝居を作るときでもそうだが、「これが出来上がるまでは絶対死ねない」って気分になるときがある。気に入った芝居、出来の良い芝居を作っている最中ほどそんな気分になる。この本もそんな気分になりながら校正作業をしている。

授業を生業にしてるから、「リベ国」の授業も自分の学校で山ほどやってるし、呼ばれて余所の学校でやることも増えてきた。そのたびに思うんだが、うまくいく授業と、失敗だあ、って感じる授業の違いって何だろうね。オレはね、一にかかって言葉だと思う。どんな言葉で生徒を励まし、動機づけるか。ステイタスの変化をどうやって言葉で、態度で、生徒に示すか。それがポイントなんじゃないかと思う。

だから、今回の本は、オレが授業中にしゃべった言葉がひたすら書かれている本になったんだ。オレとしては惜しみなく「リベ国」の秘密を開陳したつもりだ。この文章を読んでさっぱりわからん、と思っている教員もいるんじゃないかな(教員が読んでいると仮定して)。悪いが、前の段落でオレが書いたことの意味がさっぱり分からん教員は、「リベ国」の授業はもちろん、普通の授業も生徒の心に入るようには出来ないと思うよ。アンタが出来るかどうかって言ってるんじゃない。オレの言ってる意味がわかるかどうかって言ってるだけなんだけど。教える内容さえ分かってりゃあ授業できるなんて思ってちゃあ、ダメだよ。教員がいて、わざわざ生徒を目の前に集めて授業するのは、生徒が自分ひとりで参考書を読んだり、スタサプをやったり、YouTubeで予備校の授業を見たりってのと根本的に違ってなきゃいけないんだ。違ってなきゃ、学校ってもんの存在意義がなくなっちまうんだ。今、広域通信制が大流行りだ。タブレットを使った遠隔授業も普及している。生徒にも世間にもこれまでの学校の形態が見限られようとしてるんじゃないかとオレは危惧する。学校の教員が危機感を持って、ちゃんと授業をやれるようになんないと、そろそろヤバいんじゃないのか。オレの本が、教員が自分を省みるキッカケになれば嬉しい。400ページもあるんだよ。みんな買って読んでみてくれ。