しあわせの哲学
『人が幸せを感じるためには「承認」と「自由」の2つが必要である。
承認は、以下の3つに大別される。
1愛情的承認(例えば、親が子に与える無条件の承認)
2評価的承認(自分の能力が人から認められる)←競争関係の評価的承認(例:学年トップの成績をとって褒められた)と役割関係の評価的承認(例:自分しか出来ない仕事で組織の中に確固たる役割を得ている)に分けられる。
3存在の承認(存在自体を人から認められ、尊重される)←やりとりを通じて、対話的な関係を構築できたことで得られる
自由は、以下の3つに大別される。
1探索(新しい世界に触れる)、
2創造(何かを作り出す)、
3成長(できなかったことができるようになる)』
これ、哲学者の西研って言う人の「しあわせの哲学」って本の中身をムチャクチャ大雑把にまとめてみたんだけど、よく考えられて面白いよね。
承認で3種類、自由で3種類あるって西研は整理してるんだけど、このうちのどれが満たされれば最も幸せだと感じるかは人それぞれで、それがその人の生き方の軸になるんだろうとオレは思うね。
同じ種類の承認や自由で幸せを感じられる人と結婚できるといいね。付き合えるといいね。所謂「価値観が合う」ってヤツだ。そんな2人はいっしょに幸せを実感できる。ハッピーだ。
逆に、いざ結婚してから幸せの価値観が違ってたと気づくことだってあるんじゃないか?もしそうなっちゃったら、どちらか一方が相手に合わせるのか、それとも別々に己の幸せを追求して醒めた関係になるのか。いずれにせよ、あんまりハッピーな感じはしないね。
オレ?オレは「存在の承認」と「創造の自由」をゲットできたときに幸せを感じるみたいだな。
こんなことを考えたのは、先日、高校の同窓会に出たからだ。オレは人見知りするから、これまで一度も出たことがなかったが。つい出てみる気になったんだ。なんで出たんだろ?トシをとって気弱になったのか?それとも自分というものを改めて認識したかったのかもしれない。
出てみてよかったよ。自分がわかったから。比較する対象がないと、やっぱわかんないもん。高校生なんてさ、大して個性も定まってないじゃん、みんな大差ないじゃん。そんなふうにおんなじ所からスタートして40年だよ。40年!幾星霜って感じだよ。40年の間に形成された価値観の違いってやっぱりあって、オレは他の同窓生と随分違った自分を造り上げちゃったんだな、ってしみじみ思ったよ。
井上陽水に「人生が二度あれば」って曲があるけど、人生は二度ないからね。オレはオレがはしなくも40年かけて創り上げてしまった価値観でこれからもやってくしかねえんだって、改めて腹が括れたよ。それがどれほど歪んでいようが、どれほど人に笑われようがね。
もしこのブログを読んでくれてる人がいるのなら、自分は何を価値として、何を幸せと感じるか、とっくと考えてみるといいよ。

