あなたに褒められたくて

今週火曜日の朝、夢に父親が出てきた。

遺体の安置所のような場所におれはいた。目の前には父親の兄(おれの伯父さん)の遺体が横たわっている。白装束で、真っ白な布団が胸まで掛けられている。伯父さんの左の頬には老人性の大きな染みがあった。

おれは一人で伯父の遺体を見下ろしていた。

突然、遺体が顔をしかめた。まっすぐ仰向けに横たわった遺体が、からだのあちこちを動かし始めた。あっと思う間もなく、身体を丸めて布団の中にもぐってしまった。真っ白な掛布団が生きている人間の形にふくらんで、もぞもぞと動き続けている。

隣の部屋は親族や弔問客の控室である。伯父が死んでないことを早く知らせないと。おれが控室に行こうと振り返ると、父親が目の前に立っていた。目が、合った。

「兄貴は簡単にはくたばらないよ」

父親はおれに言った。

深みのある低い声。ゆったりとした口調。間違いなく父親の声だった。脳梗塞を2回やったから、呂律は回ってなかったが、おれにははっきりと聞き取れた。

ああ、お父さんだ。

そう思ったら、目が覚めた。

父親が死んでから25年ほどが経つ。父親の夢を見たのは初めてだった。

その日は随分とイヤなことがあった。朝方に夢で父親に会えたことがずっと心に残っていて、イヤなことにもダメージを受けずに済んだ。これを書いているのは土曜日の朝だが、思い出すと今でもほんのり心が暖かくなる。

おれは父親が恋しい。こんなトシになっても恋しい。

おれは演劇や教育の分野で、賞を山ほど貰った。39歳から51歳までの10年と少しの間、毎年なにかの賞を受賞しつづけた。文部科学大臣賞、中日教育賞、優秀教員の表彰・・・。新聞やテレビにも随分取り上げられた。本も出版した。書いた芝居はミュージカルにもなった。演劇のワークショップで日本全国を飛び回った。

父親はおれが30代半ばの時に死んだ。おれがどれほどたくさん賞をもらったか、父親は何一つ知らないまま死んでしまった。

おれは、間に合わなかったのだ。

おれは父親に褒めてもらいたかった。一回でいい。よくやった、すごいぞと、あの深い声で褒めてほしかった。喫茶店に連れてってもらって、いっしょに珈琲を飲んで、いっしょに煙草を吸いながら褒めてほしかった。何の衒いもなく、自分がどれほど意地を張って頑張ったかを父親に話したかった。おれの言葉にうんうんと頷きながら、聴き入ってほしかった。

きっと喜んでもらえたと思う。父親は高校の教員だったし、岡崎労演という演劇鑑賞団体を設立したほどの芝居好きだったから。

でも、その願いは叶わなかった。これからも永遠に叶わない。

おれは間に合わなかったのだ。

だから嬉しい。夢で会えるだけでも嬉しいのだ。

「手紙」(ブログ、読んでください)を朗読に、そして一人芝居にすることにした。

父親は褒めてくれるだろうか。また夢に出てきてくれるだろうか