演劇トレーニングジム

 この文章は6月11日日曜日の午前中に描いています。

昨日は、一宮スタジオで演劇トレーニングジムをやりました。

やる前、おれはいつも震えています。おれの前を務める清水万鳳さんの、からだを動かすメニューを見ながら、おれは自分の中の不安と戦っています。今日も演劇レッスンのメニューは、うまく「やってきて」くれるのだろうか、と。

昔々、まだ演劇レッスンを始めたばかりの頃。おれは、かっきりとした指導計画を前もって組み立てて、レッスンに臨んでいました。前もって組み立てたものを、なるべく正確に、なるべく破綻なくやりきる。そういうレッスンでした。

今はまったく違います。

今のおれは、その日に何をやるかを前もって決めずに演劇レッスンに臨むようにしています。レッスンする場所にからだを運んで、参加する人の様子を見ながら、こんなことをいっしょに考えよう、実現しようという思いが「やってくる」のを待つのです。 

そうなのです。それは「やってくる」のです。自分をニュートラルにして、参加者のみんなの様子を受け入れているうちに、無意識の中から、これまでの経験、知見の蓄積の中から、それは浮かび上がってくるのです。いつの頃からでしょう、おれの演劇レッスンは、そういう流儀になりました。

 昨日の演劇トレーニングジムは、想像の縄跳び、笑いの伝播、そして護身術を一つ、みんなでやりました。やっている途中でテーマが浮かび上がってきました。今日は、からだ発の想像力の大切さがテーマだったのだとやっている途中で気づきました。

それはおれが前もって準備してきたものではありません。参加者のみんなとおれの“あいだ”で生まれたテーマであり、レッスンメニューなのです。

 あらかじめ何をやるか決めないで演劇レッスンの場に身を置く。その場で生成するものをためらわず実践する。そういう流儀になってから、おれの演劇レッスンは様変わりしました。参加者してくれる人は、とても楽しそうです。笑いが絶えません。リピーターも増えました。おれ自身もレッスンが始まってしまえば、その場に身を晒すことができるようになりました。場をコントロールしようという気持ちがまるで失せてしまいました。そして、参加してくださっているみなさんと同じ場に身を置くこと自体を、とても幸せに感じるようになりました。 

レッスン始まる前の不安は、どれだけやってもなくなることはないでしょう。それでもおれは、もっともっとたくさんの人と、たくさんの演劇トレーニングジムをやりたいと願っています。おれが演劇表現のレッスンを始めた頃、随分と世話になった竹内敏晴さんは、84歳で亡くなる直前までレッスンの場に立ち続けました。それは表現者として、レッスンをする人間として、とても見事な生きざまでした。おれもそうでありたいな。昨日の演劇トレーニングジムが終わって、そんなふうに思っている自分に気づきました。

 あと一言だけ。演劇トレーニングジムは、女優の清水万鳳さんと2人で組んで展開しています。前半の清水さんは、主にからだを動かして、自分のからだに気づいていくレッスンを担ってくれています。言ってみれば、自分の中に入っていくレッスンです。自分に「出会う」ためのレッスンです。そして後半はおれが受け持ちます。おれは清水さんと逆で、自分の外に出てゆき、他者と「出会う」ためのレッスンを主にやっています。「自分に出会い、他者と出会う」。物事は両端を叩かなければなりません。清水さんの力を借りて、演劇トレーニングジムは、人が素敵に生きることを目指すためのレッスンとして一定の完成形になりました。清水さんに感謝です。

 みなさん、是非、いっしょに演劇トレーニングジム、やってください。参加をお待ちしています。