アングラ
土曜日午前中。大府の保健センターで食育ボランティアさんに寸劇指導をした。
Aさんは顆粒だし派。Bさんは天然ダシ派だ。もちろん天然ダシ派がエライ。みんなラクしないで天然ダシ使いましょうという啓発寸劇だ。
ボランティアさんはみんな高齢っぽい。わずかA41枚の台本がなかなか覚えられない。いや、覚えられても、棒読みになっちゃって、文字を音声に変えただけになっちゃう。なんとかもうちょっと、芝居らしくならんかなあ。ということで、オレが呼ばれたのだ(ト、オレは理解している)。
保健センターではもう何年も寸劇指導をやらせてもらってるが、オレは結構喜んで行っている。だって、そこにあるのは(じゃなかった「いる」のは)、所謂「ナマモノとしての人間」なんだから。そういう人間と芝居(といっても寸劇なのだが)を作るのが、オレは面白くって仕方のないのだ。
「芝居となると(仮にそれがA41枚の寸劇でも)、みんなすぐに演じはじめちゃうんです。要らん要らん演技なんて。ろくに訓練してないんだから、別人になんかなれやしないですよ。それよりもみなさんのままでしれっと舞台の上に上がって、普段のみなさんのままでしゃべったり動いたりしてくれたほうが、よっぽどリアルだし、深みがあるんです。だってそうじゃないですか?みなさんはみなさんの人生をこれまで何十年ととやってきたんですよね?いいことも辛いことも乗り越えて。今だって毎日間日必死でみなさん自身の生活をやってるんですよね?それを、そのまま出していただければ、そりゃあリアルですよ。お客さん、みんな見ますよ。だって、生きた人間がそこにいるわけだから。心配いりません。ボクが今から、みなさんがみなさん自身をちゃんと演じられるようにちゃんと指導しますから。なんなら、みなさんお一方お一方に合うような台詞と状況設定、ちゃあんとボクが作りますから。」
こんなことを最初にしゃべって、まずは普段通りにスーパーの中を歩いてもらうところから稽古をはじめた。1時間半で参加者全員が自分自身として舞台に立てるようになった。いやあ、オレ、うまいわ、やっぱり。
どんな素人でも芝居はできる。自分の身を、自分のままで人前に晒す勇気と覚悟さえあれば。オレ、芝居書くけどさ、全部当て書きだもん。これまで作った台本全部ね。その役者の良いところが一番出るような状況、役柄、台詞を書いてゆくだけだもん。大丈夫だ。その手法ひとつで、オレは文部科学大臣賞を取って、高校演劇では全国大会に3回も行ったんだから。しかも定時制高校の演劇部でね。
今、オレの目の前に、唐十郎の『特権的肉体論』という本がある。真っ赤な装丁のなんだか禍々しい本なのだが、この本、実はアングラ演劇の聖典のような本なのだ。オレは、今、熱心にこの本を再読している最中だ。なぜそんなもんを読んでるのか?で、オレは今、アングラ演劇を作ろうとしているのだ。11月15、16日。一宮スタジオはアングラ劇場として生まれ変わる。そのこけら落とし公演をオレは今、準備している最中なのだ。
演劇始めた頃、初めて読んだときには、何が書いてあるか、さっぱりわからなかった。途中で読むのをやめてしまった。ところがだ、不思議なことに、今読むと異常にわかるんだよ、唐十郎の言わんとしていることが。煎じ詰めれば、オレがボランティアのじいさんばあさん相手にやってきたことが、〝特権的肉体論〟だったんだ。
そうか、オレ、アングラだったんだな。はじめて知ったわ。