親は最初の教育者
4冊目の本の初稿校正とあとがきをやり終えて、1月2日になって、ようやく冬休みがやってきた。と言っても特にやることはないので、溜まりにたまった本の整理をした。
オレ、結構、本、読むのよ。親父が蔵書家でね、小さい頃から本は家の至る所にあった。親父の書斎は、壁一面が特注で本棚になってて、びっしり本が並んでた。それでも入りきらなくて、床に積んで置いてあったり、部屋からあふれ出して、階段や廊下にも積んであったりね。
親は、子どもが出会う最初の大人だから、子は親を内在化して、生きるサンプルにしちゃうんだよ、きっと。いや、サンプルなんて言い方じゃ弱いな。親が内面に喰いこんで道徳化してしまうんだ。無意識の刷り込みだよ。
親父のこと、オレはなんだか怖くてね、高校入るまでロクに口も利けなかった。親父もオレを2階の書斎に立ち入らせなかった。でも、それでも、同性だし、親父の姿勢はオレの生きるサンプルになっちゃってるんだろうと思う。ロクに口を利いたこともないのに、変な話、いや、怖ろしい話だよ。
親父は本にかける金を惜しまなかった。オレも、考える間もなく本を読む人間になってた。
親父はヘビースモーカーだった。オレも、考える間もなくタバコを吸う人間になってた。
親父はメガネをたくさん持ってた。果ては本鼈甲のメガネまで特注で作った。オレも、本鼈甲のメガネはさすがに金がないので作れなかったが、たくさんメガネを買ってた、考える間もなくね。
親父は教員の傍ら、労演活動に時間を費やしていた。給料のすべてをつぎ込んで赤字の補填をしていた。左翼系の芝居なんざ、岡崎の一般市民が見に来るもんか。芝居やるとろくでもねえ、貧乏になる、子どもの頃からオレは骨身に沁みてわかっていた。それでも気づくと、ほら、なんのこたあねえ、オレは芝居やらワークショップをやる人間になっちまっている。
これから親になろうっていう人、子どもが産まれたばっかりの人。これ、読んでたら、ようく覚えときなよ。
あんたは、子どもの最初の教育者なんだよ。子どもはあんたを見て、あんたを内面化して、その内面を抱えながら世の中と対峙していくんだってこと。
だからどうしろってこたあ、ないけどさ。みんな内在化された親に反抗したり、受け入れたりしながら、自分てもんを作っていくんだよ。
オレだってそうさ。オレは親父のディレッタント的な姿勢、批評家的な余裕のある態度だけは鼻についてしょうがなかったんだ。だから、この点だけは親父に反抗して、オレは作り手でありたいと、現場に立って骨身を削る人間でありたいと思って、ずっとやってきちまったんけどね。
こんな話書くつもりじゃなかったんだけどね。もっと気楽な内容を書くつもりだったんだけど。書くって面白いな。

