親のカタキ


前回に引き続き、高校演劇の話だ。
刈谷東高校は地区大会を勝ち残って、県大会に出場することになった。めでたい。ほんとうにめでたい
刈谷東高校には演劇部の顧問がオレを含めて3人いるが、3人とも口を揃えて、「今回の芝居がいままでで一番疲れた。どっと疲れた」と言っている。上演が終わった瞬間、顧問3人は口も利けないくらい疲れ果てていた。
勝たせてもらって文句言う筈もないが、あの地獄がしばらく続くのかと思うとゾッとする。3人の誰も、そんなことは口にしないけど。

今回はオレは作品を書かなかった。演出に専念した。
思い出したよ。演出ってさ、まずは解釈なんだよ。オレ(演出者)は、この作品をこう読みましたよ、って解釈。そうして次にやるのは、自分の解釈を可視化するって作業だ。役者の演技の仕方を指定して、装置、音響、照明の仕掛けを使って、自分の解釈を目に見える形にして、お客に過たず提示するのだ。
いつもは自分で書いた台本で芝居作ってるから、この、演出=解釈→可視化、って図式を特段意識しなくても、ものすごくスムーズにできちゃう。だから、演出ってなんだか分からなくなってたところがある。今回改めて、演出って何か、よおくわかったよ。それは、今回の収穫だったな。

県大会、刈谷東高校の上演日時は8月9日(土)10時からと決まった。場所は、名古屋栄の名古屋市青少年センター アートピアホールだ。
お暇な方は是非観に来てほしい。

急に話は変わるが、母親が死んで4年になる。8月7日が命日だ。4年前のあの日も、オレは県大会に出るために芝居の稽古をしていた。死に目にも会えなかった。
どうしてもね、思い出しちゃうんだ、8月のこの時期に県大会の作品を作っていると。あの年の県大会も、会場はアートピアホールだった。この4年間、オレはアートピアホールに一度も足を踏み入れていない。
部員にも、顧問にも勿論言わないが、今度の県大会、オレは母親の弔い合戦のつもりでやってるんだ。
オレは毎日毎日オレに言う。言って自分にプレッシャーをかける。おまえさ、親が死んだときも芝居作ってたんだぞ、いいか、間違ってもちょろい芝居だけは創るんじゃねえぞ、って。
オレは芝居を愛し、同時にひどく憎んでいる。親のカタキだ。憎まずにいられるか。