私が私であることの不快

今日は一日籠って刈谷東高校演劇部のための台本を書いていた。今回は新しい趣向で、自分でゼロから書くのではなくて、同僚の先生に台本を書いてと頼んで、それを演出しようと試みた。いつもなら自分で全部書くのだが。渡してもらった台本は、そのままでは上演するのが難しそうだったので、結局大いに潤色を施すしかなくて、結局今日一日お籠りすることになったのだ。自分で最初から書くのと違って、なかなか苦労があった。でもいい。オレにない発想や趣味が元の台本にはあって、その中からオレが表現できるもの、表現したいものを見つけだすという作業は、自分の限界を突破しているような気分になった。

オレはたぶん退屈しているのだ。いや、嫌気がさしているのだ。何に?自分が自分でしかないことに。何をやっても何を書いても、自分でしかないことに。

オレはもともとそういう質のようだ。もう何年も芝居を作っているが、同じ感じの芝居を2本続けて作ったことがない。いや、作らないように心掛けてきた。何かこれまでにやったことないことを、何か自分なりに新しいものを!自覚せぬながらそんなふうにしてずっとやってきた。私が私でしかないこと、何をやっても私という檻から出られぬことは不快である、とオレは思っているようだ。おれにとっては、だから、今回の演劇部の台本も、私を突破するための試みなのだ。

一宮で11月にやる芝居もおんなじだ。謎解きと演劇のコラボと銘打っているが、オレがやりたいのは謎解きを演劇の中に組み込むという趣向だ。そんなコラボ、少なくともオレは見たことない。もちろんオレ自身はそんなのをこれまでに作ったことはない。だから苦しい。でも、だから面白い。退屈しないでやれる。

もともとそういう性格なんだけど、もうこの頃では結構意識的に今の自分を壊していかないとヤバいんじゃないかと思うようになっている。ほら、トシを取ると今の自分を更新していくのってだんだん億劫になってくるじゃない?だから意識的にやってかないとね。このブログを読んでくださっているみなさんはどうですか。意識的に今の自分突破しようとしてますか?私が私でしかないことって不快じゃないですか?