県大会結果報告。あるいは肩書のない名刺のこと。
県大会の結果が出た。刈谷東は中部大会に行けなかった。上演中に不意に会場から笑いが起こった。地区大会ではなかったことだった。
コンクールに出ている以上、結果については何も言うまい。言っても詮方ない。笑いが起こった原因をオレはずっと考えている。あそこのあの場面で何故あんなに笑いが起きたのか、ずっと考え続けている。結果に文句を言うのは良くない。しかし、芝居の内容について考え続けるのはオレの自由だし、作り手としては大変誠実な態度なはずだ。だからずっと考える。なんなら欲しい効果が出るまで書き直す。
とまれ、オレは今回の大会を経て、やりたくないことはやらないと心に誓った。そう思った経緯もここでは書くまい。いままで随分いやなことにもお付き合いしてきた。わがままそうにみえるが、オレは実は意外と律義なインサイダーなのだ。しかし、オレも60(!)だ。もうそろそろいやなことをいやだと言っても、やりたくないことはやらないと言っても許されるのではないか。年寄りはわがままだなあと呆れて、やんわり許してもらえるのではないか。いや、許してもらわなくても結構。オレは、オレの責任において自分の生き筋を決められるようにならなきゃいけない。これまではなんやかんや言っても所属する組織がオレを守ってくれた。オレの名刺には、これまで必ず肩書が入っていた。
竹内敏晴という人がいた。随分世話になった。今でも忘れられない人なのだが、竹内さんの名刺には肩書が入っていない。「竹内敏晴」という名前と連絡先が書いてあるだけ。それだけ。オレはもらった時からずっとその名刺にあこがれていた。かっこいいなあとずっと思っていた。肩書なしで勝負できるなんて、タダのその人としてころんと存在して、そのまんまの、ひとりの人間として世間と対峙できるなんて、なんてかっこいいんだろう。ただ思ってるだけじゃなくて、そういう在り方で自分は生きてますから、と名刺1枚で世間に表明してるわけだから、そりゃあかっこいいわ。竹内さんは80過ぎまでワークショップをやりつづけた。病に臥せって、歩けなくなっても車いすでワークショップの現場に身を運んだ。それもかっこいいとオレは思う。
「お守りだと思って持ってな」そう言って、竹内さんはオレに肩書のない名刺をくれた。千種駅前の地下にあった、薄暗い喫茶店で、初めて会った時のことだ。もう20年も昔のことになる。
竹内さんの名刺を、オレはいまでも大事に持ってる。竹内さんはもう亡くなってしまったから、電話しても出てくれないが、それでも持ちつづけている。お守りだからね、オレにとっては。これからもワークショップをやっていきたいと心に決めているオレにとってはさ。
やりたくないことはしない。これが自由だ。肩書のない名刺。これが人間になることだ。
2つとも、実現するのはとってもむつかしい。でも、そこを実現すべくやってかにゃあ、なんのために生まれてきたかわかりゃあしない。