異化する
ねこ、飼ったとしますね。飼ったハナは嬉しいし、珍しい。寝ても覚めても、ねこ、ねこです。ところが人間、慣れちゃうんですね。1週間が経ち、1か月がたち、1年が経つと、もういるのが当たり前。特に意識に上らなくなります。ねこだけじゃないですよ、あらゆるものが同じ運命をたどります。家を建てたハナは、結婚したハナは、子どもが生まれたハナは、愛する人を失ったハナは・・・。いいことでも、やなことでも、シンドイことでも慣れちゃうから、忘れちゃう。だから、人間は生きていけるとも言えますねえ。
でもね、いかに慣れようが、いかに忘れようが、ねこはそこにいるんです。起こった出来事は起こったんですよ。
怖ろしくないですか?わたしは怖ろしいです。ピンでとめるようにして、スポットライトで照らすようにして、意識に昇らせなければ、現に在る/過去に在ったものが、現にない/過去になかったものになってしまうんですから。
慣れてしまっていいこと、忘れた方が生きやすいこと、もちろんあります。でも、慣れちゃいけないこと、忘れちゃいけないこと、ってのもあるんですよね、きっと。
一旦は慣れてしまって、忘れてしまって、意識されなくなってしまったコト、モノ、人、想い。そんなものをもう一度蘇らせるために芸術ってあるんです。
わたしにもあります。忘れちゃいけない出来事、忘れたくない人や想いが。それを芝居や文章のチカラで、ちゃんと在る/在ったことにする。これからやりたいことってそんなことなんです。