愛情
出席日数が足りずに大学を卒業できない夢を、また見た。追い詰められた気分になるといつも同じ夢を見る。あまり精神状態がよくない。
母親のことはこのブログにも随分と書いた。
母親は貧乏な絵描きの娘だった。海辺の街で育った。長じて体育の教員になった。見栄っ張りだった。欲しいものは何をしてでも手に入れた。エネルギーがあって強欲だった。振る舞いが粗野で、「わっちは野生児だから」といつも言っていた。「わっちは威張るヤツが大嫌い」ともよく言っていた。そのくせ自分は周囲に威張り散らした。88で死ぬ一年前に歩けなくなった。最後まで頭は惚けてなかった。本を読んでいる姿を見たことがない。蔵書は1冊もなかった。2時間ドラマや時代劇を見るのが好きで、でも見ながら途中で眠ってしまっていた。
散々な書き方をしたが、オレは母親からとても大切なことを教えてもらった。
愛情とはなにか、ということだ。
母親は常々言っていた。それこそ洗脳するようにオレに言ってきかせた。
「いいかん?わっちは友くんの味方だでね」と。
オレは絵に描いたようなクソガキだった。大人になってからも、バランスを欠いた振る舞いばかりしてきた。
それでも、いつも、委細承知の上で、母親はいつも言葉通りにオレに接してくれた。誰に非難されようとも一度たりともブレたことはなかった。
「いいかん?わっちは友くんの味方だでね」
愛情とは、大切な人をひとりぼっちにしないことだ。どんなに間違っていようとも、どんなに世間に指弾されようとも、いや、そういうときこそ、大切な人の味方に、ただひとりの味方になることだ。
この考え方は世間の通念からしたら間違っているかもしれない。が、オレはそういうことができる人間でありたいと思って生きてきたし、これからもこの生き筋を改める気はない。そのことでいかにオレが損をしようとも、改める気はない。
母親が身を以て、オレに教えてくれたことだからだ。
素敵な文章を読んだ。ここまで書いたことと通底すると感じるので紹介しておく。上野千鶴子という社会学者の文章だ。
「自分のなかによきものを育てたいと思えば、ソントクのある関係からは離れていたほうがよいのです」
「さるメディアに「魅力的な男性とは?」と訊かれて、「ソンとわかっていてソンのできるひと」と答えたことがある」
『色川さん、ありがとう 追悼 色川大吉』より