寝ても覚めても
まとめちゃうのがイヤだ。まとめてきれいに書いてしまう/しゃべってしまう。教員やっていると50分なりの制限時間が授業にはあるから、そこで完結しばきゃならないっていう強迫観念みたいなモノがしみこんじゃうんだ。やってないつもりでも、体内時計みたいなモノが自動的に動き出して、キレイに収まっちゃう。それがいやだ。挙げ句、誰に頼まれたわけでもないのに、ちょっといいことを最後にひと言付け加えたりして。
無意識で生の流れみたいなものをコントロールしているんだ。そういうナマっぽさから遠い思考にはまり込んじゃってるのがイヤだ。イヤでしょうがない。
このごろ、来春に出す本を書いてるんだけど、まとめちゃうのがイヤで、○で区切って分かち書きみたいな体裁で書かせてもらったんだけど、つい気を許すと、キレイにまとめちゃうようなことを書いてしまっていて、怖気を震う。
家に帰り、ご飯を食べると、起きてられない。すぐ寝ちゃう。なんでこんなに疲れてんだ?
理由がやっとはっきりわかった。オレ、寝てる間も授業やってんだよ、リベ国の授業を。実際喋ってる。昨日の夜は結構長いこと、声を出して喋ってた。寝てるんだよ、寝ながら夢の中でリベ国の授業やってるんだ、声を実際に出して。外から見たら寝言の長いバージョン、オレからしたら、マジな授業だ。
寝ても覚めてもリベ国の授業やってちゃあ、そりゃあ疲れるよ。
起きて活動してて、一日義務を果たしてホッとして、我知らず寝てしまう。寝始めると、寝てる間にもうひとまわり、一日の義務を果たすようにリベ国の授業をやりつづける。夢の中でも授業は上手くいったり行かなかったり。新しいレッスンを思いついて、やり方を伝えてるのになかなか上手く伝わらなくて焦れて怒ったりしている。学校に遅刻しちゃいけないからと無意識で思っているのか、それとも長い間の習慣か、定刻になると目が覚める。保険で目覚ましのアラームをセットしておくんだけど、アラーム音が、寝ながらやるリベ国の授業の、終わりのチャイムって感じなんだ、毎晩。
さすがに昨日の夢での授業はながくて、自分でも声に出して喋っているのが自覚できた。あれ?オレ、寝ながら喋ってるぞ、ってね。こりゃヤバいぞってね。
この頃は本も読めない。論理を追う根気もない。いかにも作りましたっていう物語もついて行けない。根気が続かず、読むのを止めてしまう。
唯一読めるのは田中小実昌かもしれない。今朝「ミミのこと」を注文した。捨てちゃって手元にないから。
田中小実昌は物語を書いてしまうことを自分に禁じて小説を書いた人だから。昔、「ポロポロ」読んで感動のを覚えている。