学校が始まった

新学期が始まった。3、4年学年主任で担任だ。生徒の顔も久しぶりに見た。教員の顔を見ているよりも遙かに清々しい気分だが、春休みとは比べものにならないくらい疲れる。「リベ国オンラインサロン」を始めたこともあって、未曾有の疲労感だ。木曜日などは、いつのまに寝たか覚えがない。やばい。

そんな疲労困憊の中でも、今日はじいさんのインタビューをした。じいさんは日和らずに約束を守ってくれた。

オレが会場に着くと、すでにじいさんは待っていた。鶴のようにやせて、凜としたじいさんだ。

「お名前は?」オレは聞いた。

「中根光男(仮名)」断定口調だ。

「おいくつですか」とオレ。

「76」。余分なことは言わない。断定口調だ。

オレは聞き書きには慣れている。役者に自分の人生を語ってもらって、それをつなぎ合わせて「名古屋ー新大阪」「米原ー金沢」という芝居を作ったこともある。

そんなオレのインタビュースキルをもってしても、中根さんの口は重かった。

今の暮らしの話は全く聴かない。そんなもんにオレの興味はない。

オレが興味があるのは、じいさんたちがどんな人生を送ってきたかだ。じいさんたちの過去の来歴に興味があるのだ。

中根さんは断定口調でしゃべる。ぽつりポツリとしゃべる。言葉を発するまでに間が入る。沈黙の間、中根さんは微動だにしない。まっすぐ前を見て、凜とした風情のままだ。

「50代が一番頑張って働いた。仕事は大変だった。次から次へ降ってくる。毎日12時まで働いた。3年に1度税務署が来る。その時期は家に帰らない。名古屋市内のカプセルホテルで寝泊まりする。責任感は強いと思う」

「40代から65まで酒をよく飲んだ。同じ部署の人と行く。1,2件目は会社近くの居酒屋で。3件目はバーで。本当は酒は強くない。好きでもない。でもあの頃は毎晩飲んだ。その日のことを忘れるために」

「趣味はない。今日聞かれたら、どうしようと思っていた。若い頃から、本当にない」

昔の男の人は、みんな中根さんみたいな感じだったんじゃないか。うっすらとだが記憶にある。

中根さんが50歳だったのは平成10年ごろ。まだ働き方改革などという言葉のなかった時代だ。オレは中根さんに聞いたんだ。いつが一番楽しかったですかって。そしたら中根さんは間髪入れずに「50代」って答えたんだよ。夜の12時まで働いて、家にも帰れず、酒飲んで忘れてしまわないとやってけないほどの鬱屈を抱えていた50代が、一番楽しかったんだって。

話を聞いた後、晩メシを食いにファミレスに寄った。おじさんが何人もいた。いっしょにいたおばさんと見分けがつかない、おばさんおじさんばかりだった。断定口調でしゃべる、凜とした風情のおじさんは、少なくともオレが今晩寄ったファミレスには一人もいなかった。

しかし、あれだね。疲れていると一文一文が短くなるね。