学ぶこと=変わること

大府市神田公民館がやっている「おやじの学び舎」という講座のゲスト講師として2時間のWSをやってきた。先週の土曜日のことだ。

1ヶ月前に講座の代表格のようなおじ(い)さんと打ち合わせをした。「ちょっといい話を聞かせてもらって、ちょっとWSなるもの?をやって、ま、楽しませてくれよ」みたいなことを言われた。

オレは、こんな話をして講座を始めた。

「私が勤めている刈谷東高校には、昼飯も持って来れないような境遇の生徒もいます。昼の放課に教室にいるのがしんどくて(昼飯を持ってる級友がうらやましいからです)、グランド沿いに等間隔にずっと立っています。そうやって昼の時間をやり過ごすのです。彼らは、境遇がいかにシンドくても、いや、境遇がシンドければシンドいほど、自分が変わらなきゃどうしようもないとわかっていて、学校に通ってきています。でも、人間、そうそう頑張れるもんじゃない。刈谷東高校の卒業率は、7割行けばいいほうなのです。」

「学ぶことは変わることです。刈谷東の生徒は、自分を変えようと思って学校に通ってきています。みなさんも変わろうとして、今日ここに来ているのですよね?だってこの講座は「おやじの学び舎」なんですから。もし、みなさんが変わるつもりもなく、ちょっと珍しい豆知識を得ようと思っているのでしたら、ここは「学び舎」ではありません。看板に偽りありです。そして、もし、みなさんが、学ぶ=変わることに躊躇しているのだったら、学ぶという一点おいては、刈谷東の生徒に遙かに及びません。さあ、「おやじの学び舎」という講座名にふさわしい学びを始めましょう。いいですか?今からやるWSを、みなさんが変わる気もなく受けたのだったら、私は承知しません。ここは「学び舎」なんでしょ?自分を変える場、新しい自分になるための場なんでしょう?私は、見世物パンダではありません。みなさんがたの娯楽に付き合うつもりで来てるわけでもありません。私はね、みなさんと刺し違えるつもりで、今日は〝授業〟をやりにきてるんです」

こんな話をして挑発したあと、オレはおじ(い)さんたち相手に、インプロ(即興)で短いシーンを作るレッスンをやった。

書いてみて思った。たかだか市民講座じゃないか。オレは何をムキになってやっているのだろう?

この頃、学ぶということ、学校という場が、とてもコケにされている気がするんだ。

だから、ついついムキになったんだろうな。

誰がコケにしているか?

生徒、世間、そして・・・あろうことか教員ですら、コケにして、適当に扱い、単なる生活の資と考えているように思う。

とても、とってもイヤだ。

学ぶことを舐めんなよ。