夏、暑い時に部活の練習をやっていると、母親が死んだ日のことを思い出す

明日は部活の本番だ。今日は一日練習をした。またまた演出が変った。タイトルまで変わった。『いとしき日々よ~部活動バージョン~』というのが最終的なタイトルになった。

今日も暑かった。教室を借りて、クーラーをつけて練習した。夏休みに、高校演劇の練習をしていると、母親が死んだ日のことを思い出す。

母親は、2021年の8月に死んだ。母親が息を引き取った時、オレは高校演劇の県大会の練習をしていた。もう危ないとわかっていながら、母親といっしょにいてやらずに、演劇部の練習をすることを、オレは選んだ。

オレは、クソがつくほどの人非人だ。

母親が死んだ日も暑かった。電話がかかってきて、死んだことを知らされた。でも、オレは練習を続けた。電話でオレは言った。「ドライアイスをじゃんじゃん入れろ。オレが帰るまで腐らせるんじゃねぞ」

なんて言い草だ。ひとでなしの言葉だ。

オレが帰った時、母親はドライアイスの入れ過ぎで、からだも顔も霜が降りるくらいにカチコチに凍らされていた。

冷凍保存された母親の姿が、今でも瞼に焼き付いて離れん。

お母さん、寒かっただらあ。オレ、ひでえことしたわ。ごめんな。死ぬとき、心細かっただらあ。ごめんな、ごめんな・・・。

母親は、オレのやることは手放しで認めてくれた。新聞に載ったら褒めてくれた。テレビに出たら褒めてくれた。賞をもらったら褒めてくれた。本を出したら喜んで、何冊でも買ってくれて、知り合いに配って回ってくれた。オレは母親に褒めてもらうのが嬉しくて、母親の手放しで喜ぶ顔が見たくて、それでずっと頑張ってきた。そんな母親の最期の時に、オレはなんで傍にいてやれなかったのか。なんということをしてしまったのか。

だからオレは、死ぬまでいいもんを創らなきゃいけないわけ。いいもんができるように執念深くやりつづけなきゃいけないわけ。ちょっとやそっとのアクシデントで弱音を吐いちゃいけないわけ。部員が辞めた?それっぽっちのことでグチグチ言ってちゃいけないわけ。そんなゆるい態度で芝居作ったんじゃあ、カチコチに凍らされて、髪の毛にツララができるほど凍らされて、それでもオレの帰りを待っていてくれた母親に申し訳がたたんじゃないか!

トシを取って、体力が落ち、気力も失せて、適当に芝居作るようになったら・・・、もしそんなふうになってしまったら・・・オレはもう、どのツラ下げて人間をやっていいかわからなくなると思う。