リベ国オンラインサロン
4月から、教員対象のリベ国オンラインサロンを開講する。
メインコンテンツは「リベラルアーツ国語」のやり方だ。それ以外にも、全国の若い先生(年寄りは概ね、教育という行為がたつきの道になってしまっている。期待薄だ)に、役に立つなあ、面白いなあと思ってもらえるようなコンテンツを考えているところだ。
一定数の先生を集めないと、プロバイダーに管理費すら払えない(以外と高い)。言うまでもないが、おれには(ということはこのオンラインサロンには)何の党派制もない。上部団体もない。変なしがらみも全くない。CAワークスというNPO法人が、そのミッション(芸術で社会の諸問題を解決する)に沿ってやることにした一企画だ。そこらへんは安心してほしい。だから余計にね、後ろ盾がない分余計にね、頑張って仲間を増やさないといけないわけさ。
今考えてるのは、「お悩み相談コーナー」だ。CAワークスのYouTube動画として「リジチョーに聞く」というのを作ったことがある。評判が悪くて2回でやめてしまったが、おれとしては愛着のある動画だった。ごく一部、ほんの一握りの人は「ああいうのが重くならなくっていい♡」と言ってくれてはいたのだが。それをオンラインサロンで復活させたらどうだろうか。
例えば、こんな感じだ。
『質問
40歳になる女性教員です。先日自分のクラスの女子生徒の茶髪を注意したら、「うるせえなあ、ババアがよ!」と反抗されました。ババア!言うに事欠いてババアって・・・。私も大人です。教員です。指導する立場です。感情的になってはいけないと努めて理性的に振る舞って、その場の茶髪の指導はやりきりました。でも、それでも、ババアなんて・・・!10代の高校生からしたら、私はちょうど彼女たちのお母さんくらいの年齢です。ババアなのかもしれませんが・・・。その日の帰り、職員用のトイレの鏡でじっと自分の顔を眺めていたら、急に涙が溢れてきて止まらなくなりました。他の先生に見つからないように慌てて涙を拭いました。教員は噂話が大好きですから。親切なふりして「先生、大丈夫?」なんて寄ってこられたら、余計私のプライドが傷つきますから。
先生、教えてください。なんでそんなひどいこと言われなきゃいけないんですか。生徒なら何言ってもいいんですか?どこまで教員は我慢しなきゃいけないんですか?私は、勉強が教えたくて学校の先生になりました。これは自信を持って言えますが、教材研究も毎時間、しっかりやって授業に臨んでいます。クラスの生徒もちゃんと指導してきたつもりです。優しく、理性的に、しかし責任感と使命感をもって生徒に接してきたつもりです。たかが「ババア」のひと言でそんなに傷つくなんて大げさかもしれませんが、たったそれだけ、たった一言だけで、これまで信じてきたことが、ガラガラと音を立てて崩れてゆくような感覚に襲われてしまいました。私はどうしたらいいんでしょう?教員の仕事はストレスフルです。メンタルを病んでお休みする先生もたくさんいらっしゃいます。トイレの鏡をみて、泣けてきたのは、ババアと言われたことがショックだからではなくて(嘘を言いました。それもやっぱりショックでした)、自分の中に「もういいや、やってられっかよ、こんな仕事。他の先生みたいに適当にやったほうが傷つかなくてすむし・・・」という心が芽生え、鏡に映った自分の顔に、これまで見たことのないような翳がさしているように思え、ゾッとしたからです。
先生、教えてください。私は、これからどうやって生徒に接し、教員生活を送ったらいいのでしょうか。
回答
ババアねえ。しんどいねえ。傷つくのわかるよ。トイレで泣けちゃった話もわかる。かわいそうだったね。[「他の先生みたいに適当にやったほうが傷つかなくてすむし」か・・・。これもわかるわ。教員だって人間だもん。心、あるもん。きっと教員になったハナは、みんな、それなりに使命感もあったし、やる気もあったと思うのよ。適当にやっとけばいいやって思って教員になった人なんて、ほぼいないんじゃないか。それがさ、グサッ、グサッ、ってのが毎日毎日積み重なってね、それが澱のようにちょっとずつ溜まっていってね、ある日自分で線を引くんだろうな、決壊して病んでしまう前に。「適当にやった方が傷つかないですむ」ってさ。おれも24から教員やって、もう30年以上やってるから。よくわかるよ、先生の気持ち。辛かったね。
でも、一つだけ言う。先生さ、生真面目過ぎるんじゃないか。いや、性格変えろとかそういうことじゃないよ。生徒への接し方がね、いつも生真面目一辺倒なんじゃないかなあ。先生の文面ね、「指導、使命感、優しく、理性的に、教える、責任感」こんな類いの言葉が目につくんだ。これ、どんな言葉だろ?こんな言葉を吐く人は、生徒に対してどんな立ち位置にいるんだろ?
A どうも。
B どうも。
A ずいぶん待ちました?
B かなり。
これ、インプロ(即興)で〝ステイタス(偉さ順)〟の練習のはじめにやる簡単なレッスンだ。同僚の先生でもいい、なんならウチに帰って旦那さんとでもいい、一回やってみてよ。
先生がAやって、相手の人にBやってもらって。まずは先生が立場が上でやってみて。次に先生が立場を下にして台詞言ってみてよ。
どう?ちゃんと演じ分けられた?どっちが自然にできた?おれ、先生はね、立場が上になって台詞言った方が楽にできるんじゃないかと思うんだ。自然に、楽にできるのが身についたステイタスなんだよ。教員てさ、相手に合わせて、場面に合わせて、状況にあわせて、立場を上にしたり、下にしたり、なんなら同じくらいの立場になったりっていう、ステイタス(偉さね)の上下ができるようにならないといけないって、おれは思うんだ。そうしないと生徒に言葉が届かないと思うんだ。生徒は一人一人違うじゃない?。一人一人がいろんなもの抱えてるじゃない?一筋縄ではいかないよ。単一のステイタスではうまくいかないんだよ。若い先生ほど、なめられちゃいけないってんで、上のステイタスとりがちだね。年齢が近いってことで、生徒が許してくれてるうちはいいけど、生徒から年が離れるに従って、わざと低くしたり、敢えて高いステイタスで接したりと、変化をつけられるようにならないといけないんじゃないかな。もしかしたら先生、そういうあたりー高いステイタス一辺倒で、生徒が許してくれなくなったあたりーに差し掛かってるのかもしれないね。ステイタスを自在に変えられること。これ、先生が「適当にやった方が傷つかないですむ」って誘惑に打ち克つために身につけるべき、有効なテクニックだと思う。もったいないよ。先生、いい資質と姿勢をせっかく持ってるんだから。このまま誘惑に負けないで、ちゃんと教員であり続けてほしいな。
え?どうやったらステイタスの変化ができるようになるかって?そんなの、おれと練習しようよ。テクニックは身につく。練習すれば身につくんだ。何も、性格変えろなんて空恐ろしいこと言ってんじゃないから。そこは全然安心して。
おれならどうするかなあ「やかましい、ジジイがよ!」って言われたらさ。おれなら・・・その場でガツンとステイタスあげて、「何言ってもいいってもんじゃねえだろうが!甘ったれんじゃねえぞ!」って、まずはその言葉をド叱るだろうな。茶髪のことはおいといてさ。もしかしたら、その言葉自体が担任の先生への甘えなのかもしれないから、そこは勘案しないといけないけど、それでも、気分に任せて何言っても許されるってのは間違ってると思うからね。高校出たら、もう自分って看板背負って一人でやってかなきゃいけないわけで、人の気持ちを踏みにじるような言葉を吐いて、それをスルーしてしまったら、何言っても許されるんだって誤学習をさせてしまうことになると思うからね。で、高いステイタスで一発言った後は、今度はフラットなステイタスを選んで、なんでそんな言葉を吐いたんだ、なんか言いたくなるような何かがあったのか、って詰めていくかな』
てな感じだ。どう?面白い?役に立つかな?おれ自身、真面目に授業のことや生徒との接し方を正面切って話せる相手がいなかったからさ。そういう場があるといいと思うんだけど。