オレのリベラルアーツ

正月だ。みんな、どう過ごしているだろうか。オレは本を読んでる。ブリブリ読んでる。休みが終わるとなんやかんやで紛れてちっとも読めないからさ。オレは、今、リベラルアーツの本を集中的に読んでるところだ。

まあ、たくさんあること!流行りなんだな、リベラルアーツ。筆者がそれぞれの定義をしていて、読めば読むほど訳が分からなくなった。

山口周という人が書いた『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)という本には、こんな定義があった。「目の前の常識を相対化するための思考技術である」なるほどね。調べたら経営コンサルタントという肩書の人だった。この本の成り立ち(掲載紙(日立EFO)に連載(「経営の足元を築くリベラルアーツ」)されたものに加筆)からして、ビジネス寄りという印象を与える定義だ。

浦久俊彦『リベラルアーツ』(集英社インターナショナル新書)には、「人生を遊びつづけるためのわざ」とある。この人の肩書は、文筆家、文化芸術プロデューサー。ホールの音楽監督をしているらしい。愛知県の公立中高一貫校の教育委員会アドバイザーもしているらしい。へえ。文化芸術寄りの定義だな。

かくいうオレも昨年4月から刈谷東高校で「リベラルアーツ 国語」って授業を始めたんだ。去年の12月には中日新聞に大きく載せてもらったよ。こんな授業をやってるからには、オレはオレなりの、オレという人間の骨身に沁みた定義を作らなきゃならん。そう思って、参考に本を読みまくっていたわけだ。

オレの肩書は教育者だ。こんなもん自分でつけりゃいいんだから、オレはそう名乗ることに決めたよ。オレは学者じゃないし、世界各国を旅行したこともないし。オレがやってきたことっていうのは、20年以上も一つの高校、しかも昼間定時制という、世間一般の人や、全日制の教員からしたら、ちょっとなんだかわかんないような高校に勤め続けて、20年分の定時制の生徒をみてきたことだけだ。なら、その生徒のために始めた授業なんだから、オレのリベラルアーツは、目の前にいる生徒から出発しなきゃならないだろう。いや、出発している筈だろう。だって授業を受ける生徒は、まさにウチの、刈谷東高校の生徒なんだから。目の前の生徒の実情とかけ離れたことやってたんじゃあ、生徒にはズキュンと来ないよ。ズキュンと来なきゃあ、ウチの生徒はある意味正直だからね、みんな授業を受けるの、やめちゃうよ。そんなんなら、わざわざ授業を新設する意味なんてないわな。

刈谷東の生徒はね、時代の流れもあるし、生徒ひとりひとりの抱えているもんも家庭環境も違うんだけど、身を固くしてるっていうか、殻を一枚被って防御してるっていうか、そんなふうにオレには思えるな。不登校だろ、外国籍だろ、病気だろ、低学力だろ、家庭のいざこざだろ、経済的にシンドい子だっているし。そりゃあ、殻の一つも被って、自分を守っていかないとやってこれなかったんじゃないか?世界に対する警戒心、不信感からくる防御っていうのかな、そんな感じで固いんだよ。ひどい目に遭ったことのある子もいるしさ。当たり前だと思うよ。オレ思うもん、普通に制服着て、遅刻したりしなかったりして、学校に通ってくる生徒たちを見ていて、おまえら、ホント偉いな、ってさ。誤解のないように言っとくけど、オレは生徒に同情なんかしてないよ。もちろん、偉そうに教え導いてやろうなんて気はこれっぽっちもない。オレが刈谷東の生徒に感じてるのは、シンパシー、親近感なんだ。オレ自身、随分身を固くして生きてきたからね。あかんことも、まわりみちも、籠っちゃうことも、若い頃から随分とやってきたしさ。オレさ、生徒たちを見て、あ、オレとおんなじだって思うもん。だから、20年も飽きずにおんなじ学校に勤めたいと思い続けられたんだろうな、きっと。刈谷東はね、大きな川と、二本の幹線道路に囲まれた、三角形の敷地の形をしてるんだ。オレのイメージだと、どん詰まりの場所って感じなんだよ。どん詰まりの場所に、いろんなところから、いろんな思いを抱えた生徒が吹き寄せられてくるんだ、世界に対して身を固くしながらね。

新年早々、ずいぶん長く書いちゃったな。この話はまだ端緒が着いたばっかりだから、次回に続くよ。