じいさんばあさん

オレは、じいさんの生き方に興味がある。オレもいい加減じいさんになったから、今後どうやって生きていっていいか、サンプルが欲しいんだ。

ばあさんたちは元気なように見える。オレは大府市のとある公民館でずっと講座を持たせてもらってるんだが、元気いっぱい活動しているのは、ばあさんばっかりだ。

じいさんはどこにいるんだ?まさか絶滅しちゃったわけじゃないだろ?なら、どこで何して日を過ごしているんだ?

公民館の館長に頼んで、2人のばあさんにインタビューさせてもらった。ホントはじいさんに直接訊きたいんだが、じいさんは近所の公民館までも来ないらしい。

じいさん(ばあさんのダンナね)は、どんなふうに毎日過ごしてんのと訊くと、ばあさん2人は堰を切ったように話し始めた。

ばあさんA「何もしていない」ばあさんB「うちも」

A「ゴミだけは出すけど」B「うちのはそれもしない」A[洗濯も干してくれる」B[いいわねえ」

A「ごはん、全くつくらない」B「うちはカップヌードルにお湯は入れれるみたい」A「すごい!うらやましいわあ」

A「夜は9時には寝て、朝は5時には起きる」B「うちは朝4時起き。何やってんだろ?」A「なにやってるの?」B「なんかパソコン見てる」

A「テレビ見て、日がな1日うつらうつらしてる」B「そうそう」A「だんだんうつらうつらする時間が増えてきた。ちょっとずつ衰えていくのかねえ」B「ほんとにねえ」

A「散歩くらいはいきますよ。でも向こうから知った人が来ると、さっと隠れちゃう」B「うちもそう」

A「立ってパソコン見てる。ほら、足の筋肉が衰えるといけないから。運動のつもりなのかしら」B「・・・」

A「あのひと(じいさんんことだ)が先に逝った方がいい。一人じゃ何にもできないから」B「わたし(ばあさんのこと)が先に逝ったら、入れてくれるホーム(老人ホームね)に入ると本人(じいさん)は言ってるけど」A「でも、こればっかりはねえ」B「そうよねえ」

・・・

・・・

話は尽きない。聴きながら、2人のばあさんの言葉をつなぎ合わせて、オレはじいさん像を頭の中で拵えた。

生気はない。烈しい欲望もなさげだ。その人の周りだけ、時の流れがゆっくり進んでいるようだ。ずーっとぼんやりしてて、息だけしてる。日が暮れるのを待っている。そんな感じで何年も何年も日を継いで、お迎えが来るまで時の流れに身を任せている・・・。仙人か?仙人なのか、じいさんって!

枯れ枝に烏止まりけり秋の暮れ 芭蕉

なぜか知らぬがオレの頭の中に突然芭蕉の句が浮かんだ。

オレの目の前で、キャッキャッと受け答えしているばあさんの連れ合いとはとても思えない。健康ヨガ教室の帰りだから、2人のばあさんのは携帯用のヨガマットを持ってる。2人ともピンク色のマットだ。そうして2人ともマットの色よりも血色が良い。

「じいさんにどうなってほしいの?」オレは訊いてみた。

「どうって・・・ねえ」2人のばあさんは、急にしゃべらなくなった。

なんでだ?さっきまでマシンガンのようにじいさんの行状を話してくれたのに。

オレは畳みかけた。「じいさんに会わせてくれないか。どこでもいいよ、家まで行くよ。家の中じゃなくていい、庭先でも、玄関先でもどこでもいい。今度はさ、じいさん本人に話を聞いてみたいんだよ」

2人のばあさんは、突然ブンブンと手を横に振りながら、全身で拒否をはじめた。

「話なんてあのひと、できないから」

「話すことなんてないから」

「知らない人と話すのきっといやがるから」

「面白い話なんてできやしないから」

・・・

・・・

もう、どっちがAさんでどっちがBさんかわからない。互いに負けじとばかり拒絶の言葉を言いつのる。

寄らせてもらっていいか、じいさんに訊くだけ訊いてみてよと、オレはすがるようにお願いしてみた。だめだった。それすらも激しく断られた。

ごめんな、ばあさんたち。せっかく時間作って話してもらっといてなんだけどさ、オレ、あんたたちの激しい拒絶の様子を見て、あん時、ちょっと腹が立っちゃったんだわ。

だってそうじゃないか。じいさんはさ、あんたたちの持ち物じゃないんだよ。どんだけ枯れてようが、生きてるだけみたいに見えようが、れっきとした生きた人間なんだ。独立した個人なんだ。会って話していいか決めるのは、あんたたちじゃない、じいさん本人じゃないのか?あんたたちは敏腕マネージャーか?それともじいさんたちの過保護なお母さんかなんかなのか?

社会と接点を失ったじいさんたち。これ、静かに進行している社会問題なんだよ。若い子だってな、一旦ひきこもっちゃえば、10年で体に影響が出て、20年で今度は精神に影響が出るって言われてんだぞ。ましてや衰えたじいさんなら、なおさらなんじゃねえの?じいさんが惚けたり、足腰立たなくなっちゃうのを助長してるのは、もしかしたら社会と接点を持たせないように、大事に大事に囲い込んじゃってるあんたたちなんじゃねえの?オレ、あんとき本気で思って、それで腹が立っちゃったんだ。

もう、あかんな、これだけ嫌がられたら。じいさんには会えないな・・・

オレが諦めかけたそのときだ。公民館に、ゆっくりゆっくり一人のじいさんが入ってきた。芭蕉の句じゃないが、枯れ枝のようなじいさんだ。

「お父さん?・・・」ばあさんAが椅子から腰を浮かせた。「なんで・・・?」

「・・・」じいさんは何か答えた。声が小さくて、モゴモゴしゃべるからオレには聞き取れなかったが、ばあさんAの帰りが遅かったから、目医者の予約の時間が気になって、来てしまったらしい。(ばあさんAが通訳してくれた)

なんということ!オレはやっぱり演劇の神様に愛されているわ!

ここが勝負所とオレはじいさんに話しかけた。

「あのね、オレ、あなたの話が聴きたいんだ。ううん、今の話じゃないよ。昔の話だ。バリバリ働いてた頃の話。何が楽しくて、何に苦労して、何に頑張ってってさ、そういう話が聴きたいんだよ。いろんな人に訊いてんの。悪いけど話聞かせてくれないかな。家まで行ってもいい。もし来てくれるなら、この公民館ででもいい。オレはね、あんたの話が、訊きたいんだよ。どう?わがままきいてくんねえか?」

オレは必死で言い募った。オレはね、ホントに聴きたいんだ。いろんな人の話。何もない人生なんてないんだよ、普通の人生なんてものも、平凡な人生なんてものもないんだよ。ひとりひとり、違った、かけがえのない人生なんだよ。オレはそれを聴きたいんだよ、マジで。

じいさんはしばらく黙っていた。でもちょっとだけ、顔の端で笑ってるように見えた。

「な、頼むよ。そんな長い時間取らせないから」オレは椅子から立ち上がり、じいさんに近づいて、追い打ちをかけた。

「・・・ああ」じいさんは頷いた。

重い扉がほんのちょっとだけ開いた、とオレは思った。

もしかしたら、家に帰ってばあさんに「やめときなよ。なんでしゃべるなんて言ったの!」と叱られるのかもしれない。叱られて話しに来るのを止してしまうかもしれない。そうなったらホントに残念だ。でもと、オレは思う。じいさんは話そうとしたんだ。自分の意思で話すことを欲望したんだ。それは、すごいことだ。じいさんは、ばあさんの持ち物じゃなかったってことなんだから。

オレの脳裏に浮かんだ芭蕉の俳句は、芭蕉が37の時の句だ。で、芭蕉が有名な「奥の細道」の長旅に出発したのは46歳の時だ。あんな句を作ってても芭蕉は実は元気いっぱいだったんだよ。長旅に出ようっていう欲望が漲っていたわけだから。それと同じなんじゃないか。じいさんは枯れちゃたフリはしてるけど、まだどこかに欲望ーそれはどんな欲望かはわからないがーが、埋み火のように燻っているんじゃないのか。そう思うと嬉しい。やるな、じいさん、って思う。

この日、オレが得た教訓は一つ。「欲望の火を消すな。さすれば老け込まない」

オレも欲望しようっと。

(付記)年をとった人の呼称は難しいと、書いてみて改めて気づいた。「じいさん」「ばあさん」と書いてみたが、せめて「お」をつけたほうが良かったのかもしれない。でも、「お」をつけるとなんだか、若者が年寄りに気を遣ってるみたいな感じになりそうで、オレ自身立派に年寄りなのに、要するに年寄り同士なのに、気を遣って労るのもおかしいんじゃないのと思って、「じいさん」「ばあさん」という呼称で統一した。