お盆

オレは盆も暮れも正月も否定しているから、世間はお盆休みだが、もちろんどこにもゆくところはない。母親や父親のことをこのブログでもよく書いているが、お盆の墓参りにも行かない。母親も父親も、オレが忘れない限りは、そしてオレがしばしば思い出している間は、それが彼らがこの世に生きた証で、供養なのだとオレは頑なに信じているから、それでいい。

思い出話をひとつ書く。

母親が死んだとき、さすがのオレもちょっとおかしくなった。

なんでかわからないが、母親に連れられてちゃうような気がしてならなかった。怖くなって、お寺の坊主に頼んだ。「時間があるときでいい、なるべく来てお経上げて、ついでにオレとしゃべってくれ」って。

そしたら、坊主は毎日来てくれたんだ。すごくないか?毎日だぞ。

オレは来るたびに坊主に訊きつづけた。

「なあ、死んだらどうなるんだ?魂とかあるのか?まだ母親がそこらへんにいるような気がどうしてもするんだ・・・」

笑っちゃうよな。いい年こいたおっさんがだぞ、しかも、芝居だ文学だってヤクザなことやってる、罰当たりな、このオレがだぞ、なに青くせえこと言ってんだって、今なら思うけどさ。そんときは訊かなきゃいられなかったんだ。

坊主は、飽きもせずに毎日おんなじ答えを言ってくれた。

「死んだら何もない。魂もない。いなくなる。きれいさっぱり」

オレも食い下がる。「なら、49日とか、初七日とか、お盆とか、ありゃあ何なんだ?」

「ありゃあ、生きてる人間が自分をなぐさめるために作ったフィクションだ」坊主は言った。

結局1ヶ月、坊主は来てくれた。最初の1週間は毎日。それが2日に1回になり、週に1度になり、2週間に1回になって、最後には月命日のお参りだけになった。

来るたびにお布施をあげなきゃいけないってわかっていても、それだけの金がなかった。母親の葬式をあげて、母親が作った借金を返したら、金が底をついた。

それでも坊主は来てくれた。短めにお経を読んで、毎日オレとおなじ問答をして、「じゃあ・・・」と言って帰って行った。

ここまで書いたら、また思い出した。

坊主は、母親の高校の教え子だった。坊主が坊主になって、はじめてお経を読みに檀家まわりをする前に、母親はウチの仏壇で練習させてやった。オレも何故かその練習の場にいた。坊主はつっかえてはやりなおし、1ページ飛ばしてはやりなおして、そのたびに母親に「やり直しん。あんたホント下手だねえ」と言い続けた。30分くらいのお経を、2時間かけて、坊主はようやく読み終えた。

「こっちおいでん」

やっとのことでお経を読み終えて、汗びっしょりになっている坊主を、母親は手招きした。

きちんと正座しなおして、「ありがとうございました」と言って、母親は頭を深々と下げた。「お布施」と書いた封筒を坊主に手渡した。

「あれがさ」坊主は、母親の49日の日にオレに言った。

「はじめてもらったお布施だったんだ」

ね、オレはちゃんと供養してる。ちゃんと思い出してるからね。