『Hero lies in you』

マライア キャリーの『HERO』を、オレの学年の卒業式の退場の曲に決めた。『HERO』は、ざっくり言うと、ヒーロー(助けてくれる人)は自分のなかにいるんだ。困ったときにどっかよそからやってきて助けてくれるわけじゃないんだぞ、って歌だ。「(親に頼るんじゃなくて、誰かに縋るんじゃなくって)自分で喰っていけるようになれ」と、オレはバカのひとつ覚えのように、この学年の生徒が入学した時からずっと言い続けてきた。喰っていけるようになるための力をつけるのが学校だと言い続けてきた。『HERO』はオレの言い続けてきたことと完全に合致する。オレの学年の生徒を送り出すにふさわしい曲だ。

ウチの学校の生徒はさ、シンドイ境遇の子が結構多いんだよ。金がマジでない家の子もいるし、親がちゃんと世話してくれずに育った子もいる。当たり前の話だが、子どもは親を選んで生まれて来れないからね。子ども同士の諍いやいじめはもちろん深刻な問題だよ。けど、もっと深刻なのは、親が親の役割を果たさない家がものすごく多くなったってことなんじゃないかと、このごろとみに思うね。

親が親の役割を果たせない家で大きくなった子はどんな影響を受けるんだろう。ウチの学校の生徒を見てるとね、引っ込み自案っていうのかな、自分の思いや感情を表に出さないで、誰かの後ろをついてまわってるみたいな子になっちゃうように思えるな。もちろん、心の中には思っていることや、やりたいことや、欲しいものが渦巻いてるんだよ。けど、それを言葉に出したり、行動で示したりできなくなっちゃう。そりゃそうだよ。自分が何か主張すれば、それが引き金になって余計に家の中で波風が立つかもしれないって思ったら、じっと堪えるしかねえだろ?ウチの学校、いまだにマスクしている生徒が多いんだ。マスクは外界から自分を守る壁みたいなもんだ。でも見方を変えりゃあ、自分の中にタプタプ湛えているものが外に漏れ出るのを防ぐ役割も果たしてるんじゃないか。所謂〝悪い〟生徒は、いやでも目立つから先生も注意して扱う、気にかける。けど、引っ込み自案な生徒は、先生たちもスルーしがちなんだよ。だからそういう子は、学校でもあんまり大事にしてもらえないんだ。あ、マスクを外せない子がみんなそういう境遇の子だと言ってるわけじゃないからね。誤解のないように。

親はさ、子どもが初めて出会う人間で、赤ちゃんのときには、周りには親しか人間がいないんだから、人間って親みたいな生き物だって刷り込まれちゃうんだ。その刷り込みに揺さぶりをかけて、人間=親って思い込みを崩してゆくことが、学校の役割なんじゃないかとオレは思う。親以外の大人のサンプルを示したり、親が示している以外のものの見方や考え方を教えたり、それが学校の、授業の、そして教員の役割なんじゃないかって思うんだよ。

親なんかアテにすんな。親なんてさっさと見切れ。オマエはオマエのものの見方を手に入れて、オマエの人生をオマエの力で切り開いていくしかねえんだよ、って励ますことが大事なんだ。親の呪縛はそりゃあ強力だからね、そこから引っぺがされて自分の人生を歩み始めるってのは、子どもにとってはものすごくシンドイことなんだろう。でも、いくらシンドかろうが、それをやらなきゃ子どもは永久に親の呪縛から逃れられなくて、親のコピーになるか、ぐれるか、自分を開示することに怯えをもったままそっと生きてゆくか、の3択の人生になっちまう。そうならないために、変わるキッカケと励ましを与える。生徒が自分の中のHEROにアクセスする勇気を与える。学校の出来ることなんざ、それに尽きるんじゃないか。間違っても「そのままでいいよ」と慰謝してるだけの場所になりさがっちゃダメなんだよ。「そのままでいい」?そんなわけねえじゃねえか。人は、自分の人生を生きるために生まれてきたんだ。親のコピーになるために生まれてきたんじゃないんだよ。