『帰郷』バックストーリー①
これから何回かにわたって、CAワークス秋の公演『帰郷』のバックストーリーをアップする。これを読んでからでないと、芝居を十分に楽しむことができない。謂わば芝居を観るための予習にあたる。
一宮駅に一人の男が降り立つ。改札を抜けて、駅で待つ観客の皆さん(芝居は一宮駅改札からすでに始まっている。観客の皆さんは、一宮駅集合なのです)の前に姿を現す。この男こそ、この芝居の主人公、井口時次郎なのだ。オレが数回にわたってブログ上に書くのは、井口がその日、一宮駅に降り立つまで、どんな人生を歩んできたか、だ。
さあ、みなさん予習の時間です。予習して、面白かったらチケット買って、井口に会いに来てほしい。
「 生い立ち
井口時次郎は、昭和48年(1973年)、愛知県一宮市に生まれた。両親は、真清田神社の門前商店街で洋品店を営んでいた。
長男にして一人っ子。時次郎は両親の愛情を一身に受けて育った。幼少時から読書を好んだ。中学時代には筑摩書房版世界文学全集全70巻を読破した。
平成3年(1991年)、市内県立高校を優秀な成績で卒業。現役で県内国立大学文学部に進んだ。
平成5年(1993年)、20歳で学生結婚。相手は同学に通う女子大生であった。
若すぎる結婚。しかし時次郎の両親はイヤな顔一つ見せず、一人息子の結婚を認めた。子どもでも出来て身動きできなくなれば、きっと商売を継いでくれる。大の男がいつまでも文学だ、哲学だ、夢見たまんまで世の中を渡っていけるわけがない。口には出さぬまでも、商売人の跡継ぎが帳簿の付け方ひとつ知らぬまま、本ばかり読んでいるのを、時次郎の両親は心もとなく感じていたのだ。
平成6年(1994年)、長女誕生。時次郎は大学3年生で一児の父となった。子どもの面倒は両親が商売の傍ら見てくれた。時次郎夫婦は両親と同居し、一宮の店から大学に通った。
平成7年(1995年)、大学4年生の冬、父が心筋梗塞で死去した。時次郎は卒業と同時に家業を継ぐこととなった。洋品店は母親と妻に任せ、時次郎は商店街の活性化に力を尽くした。一宮市商工会青年部の中心メンバーとして、老朽化の進んでいたアーケードの改修工事に向けて精力的に活動を開始した。
平成10年(1998年)、25歳にして、アーケード街の中心部に自社ビルを構える。家業の洋品店の他、テナント貸しを積極的に推進、自身も自社ビル内で喫茶「まちぶせ」を開店させた。サイフォンで珈琲を淹れる、本格的な喫茶店のマスターになったのである。「まちぶせ」は、一宮市における憧れのデートスポットとして人気を博した。」(バックストーリー②につづく)