金沢公演から戻って(2)
今回上演した『月の光』は、清水さん演じる女の子の、人を想う気持ちの強さ、激しさを表現することが狙いでした。人と人との係わりが希薄になって、付き合うのも、結婚するのもめんどくさくって、ネット観て日がな一日過ごすことが時間の潰し方の最たるものになってしまった現代において、自分は一歩引いたところに隠れて、ネットで情報を得て分かったような気になって、人を傷つけるような言説を匿名で書き込むことを恥ずかしいと思わなくなってしまった現代において、誰かを愛おしく想う様、身悶えするほど求める様、そして想った分、求めた分、正しく自分が傷ついた様を表出することは、それこそ反時代的な表現なのではないか。芝居というものが、そして芝居小屋というものが、元来、反社会的、反時代的な存在なのだとしたら、『月の光』はその意味で、まさに芝居らしい芝居と言えるのではないか。そんな思いで上演をしました。
こんな考えに凝り固まっているオレですから、顔見せて投票?芝居が終わってから素の自分を晒してお客さんとアフタートーク?それ、ごめんだけど、オレのやりたい芝居じゃないからと全否定させてもらいました。『そんな自分の考えばっかり主張して、ごり押ししてるとバイアスがかかって損するよ』忠告をしてくれた友人がいました。有難い忠告だと思いました。同時に、バカこけ、芝居はバイアスがかかってなんぼのもんじゃねえか。芸術ってのはなあ、今ある常識を異化するためにあるんじゃねえのか!?非日常を売ってんだから、素の役者見せてどうするんだ?そんな思いも、自分でも意外なほど、強く強く湧きおこりました。
気が付けば、人と喧嘩ばかりしてしまいます。喧嘩して気分の良い人間なんていません。そういう点では、甚だ気分を悪くした何日間かの金沢滞在でありました。気分は悪いが、自分の立ち位置がはっきりしたこと、狙うところがはっきりしたこと、そして自分の欲望が表出できたことは、自分的には大収穫で、そういう刺激を与えられた機会だと思うならば、行って良かった金沢公演でした。
繰り返しになりますが、清水の芝居は良かったですよ。回を重ねる度に良くなった。先述した狙いは、十二分に表現できていました、。
3泊4日の金沢滞在で、一番印象に残っているのは、片町の交差点に屯する客引きのお兄さんの数です。夜の9時、10時、11時・・・遅くなればなるほど、交差点は客引きのお兄さんでごった返していました。普通に歩いている人よりも屯する客引きの方が多いんじゃないかと思えるほどの数でした。泊まったホテルが片町の交差点の近くにあって、煙草を吸う場所をホテルのフロントで訊いたら、『そんなもんはホテルの中にはありません、交差点のところにコンビニがあって、そこに灰皿があるから、そこまで行って吸ってください』とにべもなく言われたので、毎日毎晩、片町の交差点のコンビニ前に設置された灰皿まで吸いに出かけ続けました。今回の金沢公演は、客引きのお兄さんたちに交じって煙草を吸い続けた4日間でした。夜更けから朝方まで屯する客引きのお兄さんたちを眺めながら、オレはいつのまにか思っていました。客引きのお兄さんが、出勤前に一人でこっそり観に来るような芝居が創りたいなって。観終わった後、また今晩も元気に交差点に立とうと思えるような芝居が創りたいなって。『月の光』はそういう芝居だから、自信もって演ろうぜって。
あと一言だけ。公演が終わって大道具をおろすために一宮スタジオに寄ったんだけど、一宮駅南口に車が差し掛かったとたんに、オレもK村も清水も、みんなホッとして、急にご機嫌になった。いつの間にか一宮がホームグラウンド、帰ってくる場所になってたんだって気付いた瞬間だった。すげえな。これってすごいことだよ。だって、3年前までは、一宮なんて縁もゆかりもない土地だったんだからさ。こんなふうに思うようになってる自分たちに気づけたのも、今回の金沢公演の収穫だね。